世界獣。

世界中には「世界獣」っていう獣がはびこっていて、世界が現象するのはこいつのせいなんです。僕らは世界が現象していると思い込んでいるのですが、それには理由がありません。どちらかというと、「そのように思い込まされている」のです。なぜそんなことがいえるのかというと、僕は自分のアパートの屋根をみたことがないからです。そして、職場の上の階にある機械部屋を見たことがないからです。そして、実家の目の前にある山には登ったことがなく、歩いたことのない道路に懐かしさを感じているからです。そして、実体がない観念の総体である社会そのものに疑いをもちません。世界獣が世界を現象させているから、僕らは世界があることに疑いを持たず、日常性に参加することができるのです。でもその現象させられた世界は、直接目で見て手で触れれる現実経験を欠いたものまで「現実」として疑えなさをもたされるので、この世界が体系化されて理念化されるほど、直接的な現実は覆い隠されてしまうのです。そうして、具合が悪くなると、世界獣の影響力はだんだんだんだんと弱まってくるようで、現象させられた世界が作られたものだってわかってくる瞬間があります。夜間、2時~3時ごろには世界現象はだんだんと弱まって、「ああ。僕らは作られた理念に覆われているのだな。社会というものは、決して実体があるわけではなく、目に見えないものを、さも実際にそこにあるボールペンやビールの空き缶のごとく実在的なものとして思い込んでいるだけなのだな。」とすれすれの現実に接近することができるのです。そうなると、此の世のありのままの姿、つまり、直接見て手で触れれる世界が露呈されるので、不穏になって、丑三つ時いやなことがおこるということは、それは超常現象が起こるということではなくて、存在の秘密が暴露されることに対する不安感のようなものなのです。この露呈された存在の秘密に接近すると、世界獣が現象させた日常性が、急に馬鹿らしく思えてきます。「ああ。なんだ。僕らは作られた世界を単に馬鹿正直に信じ込んでいただけなのだな。職場ですれ違うβさんも道端を歩行いるΘさんも健康的な笑顔で幸福なφさんも、単に現象を信じ込んでいるだけなのだ。なんとおかしなことだ。彼らは世界獣がいて、現象が作られたものだということを知っているのだろうか?丑三つ時に露呈される存在の秘密に触れたことができるのだろうか?脳髄をスキャンしようとしている「デスぺラードロマン派」と呼ばれる結社なのだろうか?」と思えてくるのです。そうなると出勤すること自体が茶番だ。社会生活をすること自体が、なにか不道徳な馬鹿げた行いをしているような気分になってきて、体が鈍重になってくるのです。青年期は世界の成り立ちに敏感でいられるのだけれど、なぜだか成長するにしたがって、世界獣に隷属していくようであり、なぜだか成長するにしたがって、善悪の判断が付けれるようになってしまいます。そうして、「社会は作られた茶番だなぁ」って感覚自体忘れてしまうようです。忘れて社会生活を行えればまだましなのですが、怖いことに、成長する中で作られた善悪の価値判断は、世界獣の作り出す現象の茶番さを打ち消すことを良しとしてしまうことです。それは、日常性にケチをつけて、反日常性を日常性とする逆の世界像、逆の真の姿を打ち立てているだけなので、構造としては、日常性を盲目的に信じ込んでいることと、そんなに変わりはしないように思えます。むしろ、丑三つ時の存在の秘密は、そんな作られた価値評価なんかお構いなし二やってくる不安感、どこにも支えのない不安定な感じです。だから、術師たちは丑三つ時に気をつけようと警告をしてくれるのですが、それはこの不安感や不安定感に対する対処技能のようなものだから、きっとちゃんとした訓練をつまなければ、存在の秘密に接近してはいけないのだろう。戻れなくなる。。。戻れなくなってる人。。。けっこういるなぁ。。。けっこういるけど、その人たちは必死になって世界獣の茶番と戦っている人たちなんかもしれないなぁ。こうした丑三つ時の存在の秘密の不安感に触れると戻れなくなるから、早めに寝たほうがいい。だがしかし、残念なことに、僕自身つまらない普通の人間でしかなく、明日もきっと、世界獣に現象させられた世界に赴き、さも幸福なように、さも人生を楽しんでいるかのように、さも健康を目指す正常な人間であるかのように、社会生活をすることになるのです。