無名の霧。
そして、仕分け第4弾では、僕が此の世に必要かどうかが議論されるのだ。
例のパンキッシュな刷新担当の方から、僕がいかに此の世にとって無駄であるのか責め立てられるのだ。
例のパンキッシュな刷新担当の方から、僕がいかに此の世にとって無駄であるのか責め立てられるのだ。
それはもう、責め立てられ、罵られるのだ。
だがしかし、僕は抗うのだ。
人間の実存的な自由は決して合理性には屈服しないのだという、人の人たる由縁にかけて抗うのだ。
それは、死をかけた抵抗になるのだ。
無駄や無意味を守り抜くための、死をかけた抵抗になるのだ。
自分だけの意味を守り抜くための死をかけた抵抗になるのだ。
自分だけの意味を守り抜くための死をかけた抵抗になるのだ。
だがしかし、その抵抗は成就しないでしょう。
もし、その抵抗が成就するのならば、人が一生に口に出す「おはよう」という言葉の総数と、昨年此の世に絶望した人間の人数と、快晴のお空を眺めたときのぞわぞわした感覚とが正確に一致しなければならない。
・・・しかしそれは不可能だ。。。
僕らの合理性がその一致を許してはくれない。
僕は次回の仕分けで無駄と宣告されるかもしれませんが、僕は僕自身の合理性に従って、それを受け入れます。
だがしかし大丈夫だ。
僕らには架空の旧神たちがついている。
アザトースとツァトグアとヨグ=ソトトの類型たちがいる限り、それを受け入れても大丈夫なんです。
僕らには架空の旧神たちがついている。
アザトースとツァトグアとヨグ=ソトトの類型たちがいる限り、それを受け入れても大丈夫なんです。