ウルトラが博多、そして正気-2。

節約。

を。

しています。



5年ほど前に電気的に作動するシェーバーが壊れてから、僕は電気を使用しないヒゲソリを使ってヒゲをそっているのですが、替刃が高いw
4~5個入りで千円以上するのです。
だから、あまりヒゲソリの刃は替えずに、皮膚が耐えれるギリギリまで使用してから替えるようにしていたのです。

だがしかし。
電気シェーバーならば洗えば何回も使えるし、性能の良い電気シェーバーならば深剃りもできるだろうし、ランニングコストを考えるのならば、やはり電気的シェーバーを使用することも選択肢の一つなのではないだろうか?
この数ヶ月家計簿をつけてきたこともあって、僕の中で節約志向性がふつふつと肥大化してきて、この可能性を選び取ることにとても魅力を感じたのです。

そして、今日の僕は仕事をしなくても良い。
休日です。
なので。
僕は持ち前の勇気と友情と努力を生かして、電気的なシェーバーを購入しようと、近所の電気屋に出かけたのです。

そ。
して。

電気的シェーバー売り場に辿り着いて、僕は愕然としたのです。
後頭部を鈍器で殴られた感覚です。
目覚まし時計の電池が切れていたときの感覚です。
ライターを忘れたときの感覚です。
太陽の下で緑の美しさに目を奪われたときの感覚です。
道端で小さな子供がうずくまっているのでスープを差し出してあげる感覚です。
紅白の小林幸子の衣装をみたときの感覚です。
「宇宙のランデブー」の続編の作者がジェントリー・リーという人であることを知ったときの感覚です。
小学校高学年の頃、勇気を持って購入した「明星」をおばあちゃんに取り上げられた感覚です。。。

・・・何に愕然としたのかというと、その価格の開きです。。。

一番安いものは1,300円ほどです。
一番高いものは40,000円ほどです。


どういうことだ?
なんでこんなに差があるのだ?
なんで30倍も価格に開きがあるのだ?
千円代のシェーバーは、それほどまでに剃れないのだろうか?
4万円代のシェーバーは、それほどまでに剃れるのだろうか?
40,000円のシェーバーは1,300円の30倍も剃れるということなのか?
30倍の剃りとはどのようなものか?
それだけ深く剃れるのか?
皮膚がそぎ落とされるなんてことはないだろうか?
それでは30倍ではなく60キュリーだ。
ということは、30倍の剃りとは、剃り残しがまったくないということなのだろう。
マグネットコーティングされた5倍のゲインとどちらが強いのか?

そして、1,300円~40,000円の間に、さまざまな種類の電気的シェーバーがあるのですが・・・違いが・・・違いがよくわからないwww
いろんなポップが立っていて、さまざまな宣伝文句が並べ立ててあるのですが、その違いがわからないwww
ヒゲを剃るためのいろんな機構や方式の説明が書いてあるのだけど、どれが切れてどれが切れないのかわからない。
どれも切れるように見えるし、それも切れるように見えないwww

ゴキブリやまんじゅうにはイマジネエションやオリジナリティやアイデンティティがないのだが、この電気的に作動するシェーバーたちは、さまざまなイマジネエションやオリジナリティやアイデンティティが付与されている。
しかし、そのイマジネエションやオリジナリティやアイデンティティの違いがまるでわからない。

そもそも。
電気的シェーバーにイマジネエションやオリジナリティやアイデンティティは必要なのか?

さらに。
僕には電気的シェーバーを選び取るための判断基準がないのです。
僕には、電機で動くシェーバーの“良い・悪い”の判断をつけるための基準である価値評価を持ち合わせていないのです。

・・・弱った・・・。
・・・これでは買えません・・・。
・・・節約できないし、お金がたまらないし、僕はまた、皮膚が耐え得るギリギリ限界まで刃を替えない生活をしなければならない。。。

人間は、生きているとこうした場面に時折遭遇するものです。
なにかを判断しようとしても、自分の中にその基準がないから、判断に迷ってしまうという場面です。
人間の歴史を振り返ると、自分の中に判断の基準がないということから、さまざまな不幸が起こっています。
たとえば、ある文化がまったく別の文化と遭遇したときがそうです。
こうしたとき、自分の持っている判断基準に照らし合わせて相手を評価しようとすると、大抵争いになったり、たくさん人間が死んだりします。
僕たちが前提として持っている判断基準は、最初から客観的妥当性を持っているとはいい難い。
最初から客観的というわけではなく、人間が人間といろんなやり取りをしていく中から客観性は紡ぎだされていくものなのです。
だから、ある文化の中で妥当とされていても、ある文化の中では妥当とはされないということがよく起こります。

そして。
僕は。
今日。
判断基準に逸れた。。。

どうする?

このままじゃあ、僕は電気的シェーバーと争いを起こすことになり、そうなるとたくさんの不幸な出来事が起こって、ひょっとするとたくさんの人間が死ぬかもしれないw
人間は死ぬけど出来るだけ死なないほうが良い。

僕はこうしたときに、ある特別な判断基準を持ち出して、盲目的にそれに従うことにしています。

それは、「どれが一番変なのか?」というものです。

あらゆる客観性やプラグマティックなものの見方を全て無視して、とにかく変なものを選択してみるという判断基準です。




・・・小学校のクラスには子供がいます。。。
その子は、どの友人グループにも入れてもらえません。
かといって、いじめられているわけでもありません。
のけ者にされているわけでもありません。
その子の此の世の見方は少しだけ変わっているので、いろんな場面で異邦人と化してしまうのです。
だから友人の人間に馴染めない。
だから昼休みにはみんなと遊ぶのではなく、図書室の本棚の上のほうにある、本が入っていないスペースにもぐりこんで、ひとりでこっそり家から持ってきた漫画を読むのです。

でも、この子は大丈夫なんです。
全然大丈夫だ。
大丈夫じゃなきゃダメなんです。

きっとこの子は青年期になって、自分が此の世の異邦人と化していることに自分で気がつくんです。
そして、此の世から歓迎されていないことを知って悩むんです。
でも、きっとこの子は、この子と同じような異邦人感覚に悩んだ経験のある大人に出会うんだ。
その大人とこの子は友達になって、客観性っていう正常とされている世界像に自分を規定させることができなくても、此の世を生きていて良いんだってことを学ぶんです。
それは大切な“正気のスキル”で、そのスキルを利用して、自分の異邦人感覚を此の世に炸裂させることが出来るようになって、そして健やかに死ぬことが出来るんです。




だから。
以上の正常な理由から。
電気的シェーバーを選ぶ判断基準に逸れた僕は、この基準を使用してシェーバーを選ぶんです。
異邦人感覚に悩んでいる子に“正気のスキル”を教える大人の視線で、電気的に作動するシェーバーを選ぶのです。。。

・・・そうしたわけで、僕は変なデザインの電気シェーバーを購入しましたwww

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価格は4,700円です。
まぁ。
ね。
安いやつだけどね。
40,000円のシェーバーの10分の1だけど、1,300円のシェーバーの3.5倍くらいだwww

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“3”の意匠が見て取れます。
ラーマと同じだ^^

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このウルトラな機構が、僕のヒゲを剃ってくれるみたいです。

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そして、緑色のランプが未来です。


このシェーバーの説明書を見ていると、おもしろい記述があります。

「剃り方に慣れるまで2~3週間かかることがあります」

だ。
そうですwww
そうか。
慣れるまで2~3週間もかかるのか。
明日の朝、さっそく使ってみようと思ってるんだけど、きっと初日はうまく行かないだろうな。
頑張ってうまくそれるように練習しないとな。

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