“アイ”-“ゼンク”。

アイゼンクの特性論。。。
アイゼンク・・・なんだか人間のパーソナリティを把握しようとした人らしい・・・が。。。


が。


アイゼンク氏のことはどうでもよくって。。。

パソコンで「アイゼンク」って打ったら「愛前駆」って変換されましたw

「愛前駆」・・・なんかかっくいーなw

明らかな誤変換なんだけど、「愛前駆」って言葉はあってもおかしくない。。。
「愛前駆」・・・“前駆的な愛”・・・前駆的な愛ってなんだろう?
“前駆的”っていうからには、自分の中に“何か(誰か)を愛している”っていう感覚が沸き起こる前に成立している愛ってことかな。。。

じゃあ、“愛している”って感覚がどんなものか考えてみます。
とりあえず、“愛”って言葉から思いつくものをあげてみると・・・その人のことしか考えられなくなること・・・離れられない感じ・・・無償・・・犠牲的・・・幸福感・・・暴力的・・・憎しみと両立する・・・商売のネタ・・・所有の感じ・・・自分と一体になっている感じ・・・家族の間にもあるけど、成長を阻害するものにもなる・・・所有の連鎖・・・手元においておきたい感じ・・・争いの元・・・偽善・・・活力。。。

いろいろありますが、“愛”って言葉から思いつくものの客観的な価値観を括弧に入れてみると、その根っこには少なくとも「なにかに抱く特別な関心」っていう共通の特徴が観て取れそうです。
「特別な関心」・・・自分でそれを意識しているのなら、それは“愛”って言葉でくくりつけてあげてもいいんだろうけど、愛前駆だから、意識にあがってこないレベルでの特別な関心ってことになるだろう。

で。

も。

僕たちは現象レベルで世界に既に関心を抱いている必要がある。。。

例えば、僕の目の前には自分用ネットブックS101(本名“道端の驚愕”)がありますw
このPCは黒色と黄金色とテラテラした感じとキラキラした感じとツヤツヤした感じと、前面に見えている光景と背面に見えている光景とが一緒くたになって、ひとつのPCを作り上げています。
PCの上から見た見え方と横から見た見え方と斜めから見た見え方は違っているけど、僕の中では「おんなじ自分用ネットブック“道端の驚愕”だ」と理解しています。
僕がこのPCを一つのPCとして理解するためには、決して目の前に見える光景だけでなく、こうした背景的なPCの地平を知っていなければならないわけです。
そして、この背景的な地平が“背景的”であるということは、僕が意識している“意識”は、意識が意識する前に既に成立してしまっている世界に対する関心によって支えられていると表現できそうです。

自分の意識は、自分が意識する以前に成立している世界に対する関心に支えられている。。。
・・・前駆的な関心に支えられている。。。

で。

は。

愛前駆ってのは何かってなると、前駆的な関心の中でも特別なものって表現できそうです。


なるほど。
そう考えると。
愛っつーのは、目に見えるような客観的な“愛”と、前駆的な特別な関心から掴み取られた“愛”とに分けることが出来そうです。

あー。
ここで分岐が待ち構えています。
愛前駆を本来的な愛とするのか、それとも、それも人のもつ一つの特徴だってことで留めておくかっていう分岐です。
前者の分岐は主義や主張につながるからなんだか不穏だ。

そして。
眠い。
から。
明日。
も。
仕事なので僕は帰宅してお酒を飲んで寝ることにします^^