人間は歩行している。

表のほうにある道端のほうを、人間がすたすたと歩行してします。

それはもう、“すたすた”なのです。

こうした条件のときには、“すたすた”ではなく“てくてく”であったり“とことこ”と表現することが日常なのですが、そうした日常のまるで29であるかのように、“すたすた”という言葉使いをすることが礼儀正しさであることもあるのです。




必要な怒りは・・・やはり必要なのだ・・・。




なんていえばいいんだろうか。

仕事をする上での話しなんです。

僕はあまり自己主張する人間ではないし、職場の仕事=自分の在り様とは思っていないから、職場でどんなおかしな出来事があっても、とりあえずはそれに順応し、うまいこと体裁を整えながら交わしていくのが常でした。

どっちかっていうと、家に戻り読書をしている時間のほうが大切だし、今後の自分のスキルを磨くことのほうに自分の時間を割きたいと思っています。

だがしかし、自分の所属する職場の方向性が、あまりにおかしなことになりかねないときは、僕も何かを言わなくてはならなくなってまう。

僕が何かをいわなければならないような方向性とは、仕事の良し悪しといったことではなく、仕事の体制が現実から遊離して観念の世界に行ってしまったり、一人の人間の思い込みの中で完結してしまうといったような状態です。

まったく現実からの基付けがないまま、「こうしたほうがいいんじゃないの?」っていう雰囲気だけで事柄が進んでしまいそうになるのです。
もちろん、そうした雰囲気を大切にすることは大事です。
だがしかし、雰囲気から掴み取られた理念が現実からかけ離れたものであるのなら、どこかで水を差す必要があると思います。


現実離れした理念を分断して現実に引き戻す・・・僕は理念にツッコミをいれなきゃならなくなった・・・つまり・・・それは怒りであり、怒りは必要な怒りであり、必要な碇はやはり必要なのだ。。。

僕は直接的に怒りをぶつけることは苦手なので、その表現の仕方も偏ったものになるんですが、なんとか自分なりのやり方でこの怒りを表現してみました。




そしたら疲れたwww



もう、昨日は眠れないし、3時ごろ中途覚醒してからはまったく寝付けないし、夢うつつな状態で右往左往することになるし、挙句の果てには朝方5時ごろ「ぴんぽーん」というチャイムの音の夢のようなもので目が覚めてしまい、本当にチャイムが鳴ったのかと玄関に駆け寄って確認してみたけどやはり誰もいなくて、「ああ。やはりあの音は夢のものであったか。」と、自分の現実があやふやになっていることにげんなりし、1時間ほど寝て、寝坊して、遅刻して出勤することになったのです。

まぁ。

仕方ない。

必要な怒りは必要であり、この揺れ返しが収まるまでは耐えるしかないんだろうな。

そういうもんだ。


そうしたわけで、今日は男二人でカラオケに行ってきましたwww
柄になくB’zとか歌っちったw
あと、マッチの「挑戦者」歌って泣きそうになったw
戸川純の「吹けば飛ぶよな男だが」も歌ったけど、この歌詞は良いね。


ああ。
明日は休みだし、道端で“すたすた”と歩行する人間の一類型として、“とことこ”と“てくてく”と歩行するのです。
もうそろそろ寝るのです。