夕暮れの孤高2。
とても気分の悪い夢でした。
“夕暮れの孤高”に対して何も出来ない自分と、無関心な人たちに対する憤りは、なんともいえない感じでした。
そして、この夢の後に見たくなったのが、スタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」という映画です。
僕は、「2001」や「シャイニング」は好きで何回も何回も見たのですが、「フルメタルジャケット」はたぶん2~3回くらいしか見ていません。
しかし、その前半部分は大好きです。
僕は、「2001」や「シャイニング」は好きで何回も何回も見たのですが、「フルメタルジャケット」はたぶん2~3回くらいしか見ていません。
しかし、その前半部分は大好きです。
ひょっとしたら、これから「フルメタルジャケット」を見る方もいるかもしれませんのであまり内容には触れませんが、この映画の前半部分にはレナードという人物が登場します。
この人物が、僕の現実と融合した夢の中に現れた“夕暮れの孤高”に重なるのです。
この人物が、僕の現実と融合した夢の中に現れた“夕暮れの孤高”に重なるのです。
「フルメタルジャケット」は戦争映画です。
前半部分は、海兵隊に入れられた若者の訓練風景が描かれています。
レナードも訓練を受けるのですが、彼は“夕暮れの孤高”と同じような人物なので、訓練しても訓練しても何も出来ません。
なかなか上達しないのです。
彼はクラスみんなで見守ってあげないとならない人なのですが、海兵隊の訓練所なので、そうはいきません。
レナードも容赦なく訓練を受けます。
前半部分は、海兵隊に入れられた若者の訓練風景が描かれています。
レナードも訓練を受けるのですが、彼は“夕暮れの孤高”と同じような人物なので、訓練しても訓練しても何も出来ません。
なかなか上達しないのです。
彼はクラスみんなで見守ってあげないとならない人なのですが、海兵隊の訓練所なので、そうはいきません。
レナードも容赦なく訓練を受けます。
しかし、彼は何も出来ず、何もわからないまま過ごして行きます。
あるとき、彼にも一つだけ得意なものが見つかり、上達していくのですが、その上達していく様が、僕には理性に芽生えていく様子に見えたのです。
ここからは僕の勝手な解釈かもしれませんが、彼はその得意なものを手がかりに、此の世と距離をとることができるようになるのです。
雰囲気の中だけに生きている彼でしたが、自分で此の世の出来事を認識し、自分で此の世に意味を与え、自分で此の世の出来事に判断を下すことができるようになっていくのです。
その様子は映画の中では病的に描かれているのですが、少なくとも自分から判断を与えているというところは、理性的なように感じられます。
雰囲気の中だけに生きている彼でしたが、自分で此の世の出来事を認識し、自分で此の世に意味を与え、自分で此の世の出来事に判断を下すことができるようになっていくのです。
その様子は映画の中では病的に描かれているのですが、少なくとも自分から判断を与えているというところは、理性的なように感じられます。
そして、この映画の前半部分は、あまり良くない結末を迎えます。
レナードは、やっと理性に芽生えて此の世と距離をとることが出来るようになったのですが、そこで此の世に下した彼の判断は、とても不幸なものでした。
理性に芽生えたら不幸になってしまったなんて、なんとも切ない話しです。
さて。