こころとからだ。
心と体については、いろいろと考えてみないとならないように思えます。
どんなときに一緒になって、どんなときにバラバラになるのかってことについてです。
たとえばね。
っていうか、最近このたとえばっかりなんだけど・・・客観的な価値観ってすごいんだよ。
特に、その中でも、例の“~せねばならない”って感じの、倫理的・道徳的な価値評価はすごいんです。
それは、社会的に承認されていることだから、守らなきゃならない。
それは、社会的に承認されていることだから、守らなきゃならない。
でもね。
意味を見失うととんでもないことになるんだ。
意味っていうのは“私にとってどうなのか?”っていうことです。
この視点を抜かしてしまうと、世界はまるで無味乾燥な、味気のないものになってしまう。
ニーチェっていう哲学者は面白いんだ。
僕は彼の原著を読んだことないし、概説書くらいしかわからないんだけど、彼はどうやら、形式的な“~せねばならない”を守ることよりも、、自分の生を肯定するような行いのことを評価するみたい。
つまり“私にとって世界はどうなのか?”って感じのものの見方を大切にするわけです。
でね。
この意味の視点がなくなると、心と体は調子が悪くなるみたい。
この意味の視点がなくなると、心と体は調子が悪くなるみたい。
“~せねばならない”にとりつかれて意味がなくなると、心と体はバラバラになっちゃうみたい。
バラバラになると、大変だよね。
しかも、相手は社会的には良しとされている倫理的・道徳的規範だからもっとたちが悪い。
「正しいことやってんのに、なんで心と体がバラバラになっちゃうの?」っつって、おそらく当事者も悩んでると思う。
そういうわけで、大変だ。
「正しいことやってんのに、なんで心と体がバラバラになっちゃうの?」っつって、おそらく当事者も悩んでると思う。
そういうわけで、大変だ。
たぶん、客観的な視点の持ち主である医者に頑張ってもらったほうがいいだろうなぁ。
精神科医の先生に活躍してもらって、「がんばりすぎだから会社休んだら?」とかいってもらえば、これは客観的に正しいことだからってことで、“~せねばならない”をいったん無視して、自分にとっての世界に対する意味を探すことができるのかもしれない。
精神科医の先生に活躍してもらって、「がんばりすぎだから会社休んだら?」とかいってもらえば、これは客観的に正しいことだからってことで、“~せねばならない”をいったん無視して、自分にとっての世界に対する意味を探すことができるのかもしれない。
まぁ。
いいや。
なんだか。
独り言です。
いいや。
なんだか。
独り言です。
クールヘッド・ホットハートを忘れずにいないと。。。
でもね。
客観的な視線はすごくって、僕がココで行った反省についても、「常識から逸脱してる!」の一言で無視されちゃうんだ。
客観的な視線はすごくって、僕がココで行った反省についても、「常識から逸脱してる!」の一言で無視されちゃうんだ。
そういえば、「賢者のプロペラ」の中の“哲学の虫”も踏み潰されちゃったっけw
まぁ。
いいや。
いいや。
とりあえず、今日はお空が死ぬほど綺麗だったから、大丈夫なんです。
例の辺境でタービンは回り続けるし、庭師は活躍し続けるから大丈夫なんです。
ついでに、地球ネコもいるから大丈夫なんです。
あ。
もうこんな時間だw