理性について。。。

僕らは理性をなめてる。

・・・っていうか、すくなくとも僕は理性をなめてました。

倫理観とか道徳観とか、そうしたものは僕らが勝手に作り出したものであり、自由に生きることを規制するような厄介なものであり、そうした抑圧と折り合いを付けて、いかに自分の本能的な欲望を満足させていくのかってのが大切なんだろうなぁって思っていました。

アポロン的ってよりも、デュオニュソス的なニュアンスのほうが大切的なんだろうなぁって思ってました。

構図としては、自分をコントロールするような能動的な意識として理性があって、その根っこには衝動的な、本能的な欲動があるって感じです。

で。

能動的な意識としての理性は、自己のちっぽけな部分だから、根っこにある衝動的なものは大切なんだろうなぁって思ってました。

でも。
そういうわけでもないらしい。。。

もっと本能的な欲望に近いような理性ってのもありうるんじゃないか?って思えるんです。

本能的な理性って、本能的な欲望と同じように、自分でコントロールできません。
そうした自分の能動的な意識を乗り越えて僕の行動を規制しにやってきます。
たぶん、身に染み付いた文化的な価値体系って感じになるんだと思います。
こうした背景的な理性って、染み付いちゃってるからどうしようもない。。。

・・・ソシュールの言葉を借りれば、“ラング”とかに近いのかなぁ・・・構造主義の人たちがいう“構造”みたいなもんかなぁ。。。

っていうか、そうした自分に染み付いちゃってて、自分の意識に気づかれていないような背景的な理性を強く感じる経験がありました。

いくら僕が自分の本能的な欲望を出そうとしても、それと同じレベルで、同じテンションで、背景的な理性は働いています。。。

たぶん、僕は理性についてちゃんと考えてみないとならないんだと思います。