“クオリア”って言葉にはマスコミ的な意味がくっつきつつあるから、実は使いにくい言葉になりつつあるのかも。ってことは、やっぱり“疑えなさ”っていう言葉が無難なのかなぁ。

おそらがすごいはれていてはっぱとかがひかりでみどりだけどきらきらしていてあきのこうべをたれるしょくぶつのりんかくのところのきらきらしたかんじとかみどりいろのすごいかんじがなんだかしたのほうにあるぶぶんをさそいだしてくるので車のスピードかんがちょうどよいからこうけいがどんどんどんどんかわっていってそのたびにきらきらした緑々しさがめにとびこんでくるしゆうがたになるとあかいろっぽくなってきてくうきもおいしくなってきて、人類はもう流行遅れで、ちょっとやる気が無いからダメなんだけど、なんだかダメでもいいんじゃないか?って思えてきました。




ダメな宇宙。





でも。

それはそれでそうした出来事で、緑が緑的でお空がお空っぽいから、なんつーか、全然大丈夫なんです。