人称。

僕は以前、僕のことを“俺”呼んでいました。

“俺”という言葉の持つニュアンスを、想像の中で極端から極端へと変容してみる。
・男性性。
・自立感。
・自己中心的。
・挑戦的な感じ。
・主役性。
・親しさ。
・やさぐれ感。
・孤立した感じ。
・強さ。
・なめられたくない感じ。




社会に出てから、僕は僕のこと“私”と呼ぶことが多くなりました。

“私”という言葉の持つニュアンスを、想像の中で極端から極端へと変容してみる。
・形式性。
・硬苦しさ。
・よそよそしさ。
・防御する感じ。
・ぎこちなさ。
・きっちりした感じ。
・接客業的。
・決められた社会性。
・女性の使う“私”と男性の使う“私”は意味が違うよなぁ。
・女性が使う場合は女性性かも。
・男性が使うと中性的?
・男性性の隠蔽?
・若干の不自然性?




最近、僕は僕のことを“僕”と呼んでいます。

“僕”という言葉の持つニュアンスを、想像の中で極端から極端へと変容してみる。
・少年性。
・青年性。
・子供っぽさ。
・幼さ。
・まじめな感じ。
・甘える感じ。
・依存的。
・親しさ。
・弱さ。
・内向的。
・メガネ。
・貧弱感。
・几帳面な感じ。





・・・最近、僕は僕のことを“僕”と呼ぶことが多くなったのですが、それは、なんつーか、偏った男性的な力強さをみせなくてもよくなってきたっていうか、なめられてもいいやっつーか、なめられても知らねーっつーか、僕が僕のことを“僕”と呼んで幼さや依存的なニュアンスを相手に感じ取られたとしても、僕は僕の中にある別のフェイズにおいて、ひとつの原理的なニュアンスとして「私には世界が現れ出ていて、私はそのことに意味を与えて、私は世界に判断を下すことができる」という、コギトっていうと大げさだけど、主義や主張とは全然まったく別の意味での“私”があるっていうのを漠然とだけど知っている(気づいている・意識している)っていう感覚があるから、なんつーか、男性性の顕示的な“俺”でもなく、形式性の発揮的な“私”でもなく、ちょっと貧弱な“僕”でもいいんじゃねーの?っつーのか、そんな感じなのです。

そうしたわけで、なんつーか、「なめられても余裕!」っつーのか、「なめてれば?」みたいな感じで、僕は僕のことを“僕”と呼んでいるのです。。。