ありがとー。
今日はなんだか早く起きることができて、久しぶりに布団を干せた^^
布団干せたの久しぶりだ。
ひくほど久しぶりwww
太陽ありがとー。
そして。
お空ありがとー。
お空ありがとー。
僕がMURAMASAに出会ったのは、2005年の7月2日なのです。
その頃の僕は、ソーシャルワーカーの資格を取ったのですが、なぜだか看護助手をしていて、オムツ替えと入浴介助と病院内の清掃と、そんな感じの毎日でした。
しかし、僕は客観的な人間じゃあない。
たとえば、ソーシャルワーカーにしても、技法や理論で現実を規定させるんじゃなくて、直接的な現実体験から始めて技法に行き着くのが筋だろうと常々思っているのです。
で。
直接的な現実は隠されやすいのです。
とくに、精神科の場合は、いろいろな価値評価によって現実が隠されてしまいます。
その価値評価とは、ある程度実体化してしまった観念の群れです。
それは、常識性だったり合理性だったり倫理的・道徳的な価値評価だったり、僕たちが日常的に生きているうちに硬化して出来上がっているような価値観の群れです。
学問とかそっち方面に目を向けると、福祉の場合は福祉科学とか、医学とか精神医学とか、そうした体系化された観念の群れです。
直接的な現実は隠されやすいのです。
とくに、精神科の場合は、いろいろな価値評価によって現実が隠されてしまいます。
その価値評価とは、ある程度実体化してしまった観念の群れです。
それは、常識性だったり合理性だったり倫理的・道徳的な価値評価だったり、僕たちが日常的に生きているうちに硬化して出来上がっているような価値観の群れです。
学問とかそっち方面に目を向けると、福祉の場合は福祉科学とか、医学とか精神医学とか、そうした体系化された観念の群れです。
僕たちは、そうした価値の群れを既に出来上がっている真の体系と誤解しやすいから、注意しないとそうした価値の群れによって、現実が見えなくなっちゃいます。
ですから、そうした価値の群れを直接的な現実から言い当てるやり方で中身を満たしてあげないとうまくない。
そうしたわけで、僕にとっての助手経験は、患者さんが直接的に生きている病院の日常に接近する態度として、どうしても必要だったのです。
そうはいっても、助手ばっかやってたらワーカー視点が欠けてしまう。
2005年は看護助手をしながらも、放送大学にいったり(単科履修で好きなのしか勉強しなかったけどw)、余計な本を読んだりと、いろいろにぎやかでした。
で。
本を手作業でノートにまとめると、なんだかあとで読み返してわけがわからないので、ノートPCにまとめていくことにしたのです。
本を手作業でノートにまとめると、なんだかあとで読み返してわけがわからないので、ノートPCにまとめていくことにしたのです。
で。
ノートっつっても、持ち歩けないと意味がない。
持ち歩けて、バッテリーの持ちが良くて、そこそこ何でもできるようなのじゃないと、あんまり意味がない。
ノートっつっても、持ち歩けないと意味がない。
持ち歩けて、バッテリーの持ちが良くて、そこそこ何でもできるようなのじゃないと、あんまり意味がない。
そうしたわけで、当時発売されて1年ほどたっていてそこそこ値段も下がっていたMURAMASA(CV-50F)を購入したのです。
・・・いろいろありましたwww
なんだかしらないけど、この機種はとまるんです。
「Ati2dvagが正常に作動しなくなりました」とかいって、グラフィックドライバーの不具合でとまっちゃうんです。
「Ati2dvagが正常に作動しなくなりました」とかいって、グラフィックドライバーの不具合でとまっちゃうんです。
そんなんで乗り切ってたのですが、最近、頻繁にとまるんです。
何回もクリーンインストールしても頻繁にとまるし、そもそも遅いし、USBポート壊れちゃうし。
で。
今回PCを買い換えることにしました。
今回PCを買い換えることにしました。
そして。
僕は新しいノートPCに買い換えたのです。
僕は新しいノートPCに買い換えたのです。