フラットにハイアー(内日記用)。
病み上がりの日常には、なんともいえない高揚感があります。
それは、躁状態的な高揚感とは違います。
ありもしないような未来像を思い描いて、そこ無理やり自分を規定させるようとするような、そうした高揚感とは違います。
そうじゃあない。
そうじゃなくて、強く現在を確認できるような高揚感です。
現在はいろいろな意味に彩られています。
過去の意味であったり、思い描かれる未来の意味であったり、そうしたいくつもの意味の群れが混濁しています。
過去の意味であったり、思い描かれる未来の意味であったり、そうしたいくつもの意味の群れが混濁しています。
そうした意味が溜まり過ぎると身動きが取れなくなるから、どこかで切り落とさないとならない。
風邪ひいて日常から引き離されるときとかは、こうした意味の群れの内破を体験するきっかけなのかもしれません。
そしてこの内破には高揚感が伴います。
その高揚感とは、また新たなphaseが始まるであろうことに対するワクワク感やドキドキ感です。
その高揚感とは、また新たなphaseが始まるであろうことに対するワクワク感やドキドキ感です。
・・・余計な意味の群れが削ぎ落とされてスッキリする感覚・・・ヒューララ効果に近いかも。
無駄なものが(とりあえず)退いてくれているから、現在はフラットです。
フラットであるけれど、何か新しいことが始められるんじゃないのかっていう高揚感もあります。