「騒音じいさん」について。

シーケンサーに音を打ち込んで曲を作っている世代の人たちが80歳~90歳になったとします。そのような年齢になったとしても、もし音楽を続けてシーケンサーに音を打ち込むことをやめずにいたら、きっともうボケちゃってるから知らず知らずのうちに同じフレーズを何度も打ち込んで、自分で意図しないままテクノを作れちゃったりするんだろう。そして、その音を大音量で流したりして、近所迷惑な老人が誕生するんだろうなぁ。きっと、“騒音じいさん”っていうあだ名を付けられて、近所の子供からバカにされたりするんだよ。でも、その子供の中には、騒音じいさんに興味を持つ子がいるんだ。その子はちょっと内気で、仲間内に溶け込むのが苦手な子で、みんなで遊ぶよりも学校の図書館の隅っこで、先生に内緒で持ち込んだ漫画や小説やゲームをして遊ぶことに喜びを感じているような子なんだ。最初は他の子と一緒に騒音じいさんをからかいにきたんだけど、そのうち騒音じいさんの作る曲に興味を持つようになって、打ち込みの仕方とかを教わるんです。そのころは今から半世紀も先だから、曲の作り方にしても、脳を機械に直接つなげて作るやり方が主流になっていて、一音一音機械に打ち込む方法なんて、アナログもいいところなんです。この少年は、一音一音機械に打ち込むことにリアルを感じて、こうしたシーケンサーの類を操作することに生々しさを感じるんだ。そして、そうして作ったアナログなテクノを他の友達に聞かせるんだけど、みんなからは「なにその古臭い曲?」みたいな感じでバカにされて、結局はいじめられちゃうの。でも、学校の変わり者の気持ちのやさしいセンセイが彼にはやさしくしてくれ、自分がやりたいと思ったことは大切にしなさいってアドバイスをしてくれて、その少年はそういうセンセイの言葉にこの上ない安堵の気持ちを抱くんだ。そして、彼は大人になって、職について、“社会ってこんなもんなのかなぁ”みたいちょっと諦めの思いみたいなものを感じるようになって、こうした諦めを抱くことが大人になることなんだと、都合よく合理化することになるんです。そして、そろそろ結婚して、子供でも作って身を固めようかなぁと思っているところで、彼と同い年くらいの青年に出会います。その青年はいい年してサイバーでパンクスで、人に接する礼儀正しさをしっかりと身に着けているんだけど、どこか風変わりな自由さをもっています。要するに、社会性のある芸術家だ。このパンクスと仲良くなって、話をしているうちに、実はこの青年は、少年の時代に心をぞわぞわさせた騒音じいさんの孫だってことを知るんです。騒音じいさんはもうとっくの昔に死んじゃってました。彼は死ぬまでシーケンサーに音を打ち込み続けたそうです。それはもう、音楽と呼べるようなものではなくて、ただただ反復する音の群れが無造作に並べられたものだそうです。そして、シーケンサーに打ち込むときに、騒音じいさんは口癖のように「ああ。ああ。ただただ現があるんだ。現があるんだ。」と言っていたそうです。その意味はまるでわからず、家族からは認知症の症状として取られていたそうなんだけど、この孫はなにか心に引っかかるものがあって、騒音じいさんの吐き出す音の群れを丁寧に溜め込んでいたそうです。(彼の知っている礼儀作法とは、こういう礼儀作法です)そして、彼は騒音じいさんの音をコラージュすることで、自己表現を行っていました。脳を機械につなげて作曲する時代に、こうした表現活動はそれなりの珍しさがあり、一部の懐古趣味の音楽家にはそれなりに評価されたそうです。しかし、あるとき、騒音じいさんの音をコラージュすることが、果たして自分の自己表現といえるのだろうか?と疑問を抱くようになります。「ああ。ああ。ただただ現があるんだ。現があるんだ。」老人の例の言葉が孫の中でエコーします。この孫は、老人の垂れ流した意味の渦にとらわれて、現を生きることを忘れていたみたいです。そのことに気づいたとき、孫は老人の残した音をすべて消し去ります。そうすることで騒音じいさんに引導を渡すことができたのです。(彼の知っている礼儀作法とは、こういう礼儀作法です)そして、自分の現はどこにあるのかと彷徨い歩いたあげく、かつて騒音じいさんに心を動かされた、現在は社会人の青年に出会うわけです。孫と青年は意気投合し、いくつかの表現活動を行います。しかし、それほど成功することも無く、二人とも歳をとって死んじゃいます。死ぬ間際に彼ら二人も「ああ。ああ。ただただ現があるんだ。現があるんだ。」と言っていたようですが、この言葉が誰かに通じたのかどうかは不明です。