世界バイアス。

事実として。

僕たちは世界に投げ込まれています。

世界に投げ込まれ、世界と関係を持たされています。

世界との関係の中では、たくさんの視線が僕を規定しています。

その視線とは、他人からの視線でもあるし、ものからの視線でもあるし、文化からの視線でもあるし、ルールや規範からの視線でもあるし、価値評価からの視線でもあるし、構造や役割からの視線でもあるし、日常からの視線であるし、実在的であれ抽象的であれ、僕が関わりをもっているすべての出来事からの視線といえそうです。

もちろん、それぞれの人が生きている世界は、それぞれの人によって彩りを与えられているので、これらの視線は、それを感じている自分自身の勝手な意味の投げかけなのかもしれません。

しかし、一度これらの視線が実体化してしまうと、それは僕の行動を規定する強烈なバイアスとして駆動しだします。

僕はお花をみてキレイだと思う。

しかし、仮に「お花をみたら汚いと思えバイアス」が実体化して駆動しだしたら、僕は自分の直感を捻じ曲げて、「お花は汚い」と思ってしまうかもしれません。

ある人を好きになる。

しかし、仮に「その人を好きになってはいけないバイアス」が実体化して駆動しだしたら、僕は自分の直感を捻じ曲げて、「嫌いだ」と思ってしまうかもしれません。

もし、僕がそうしたバイアスの存在に気づいたのなら、必死に抵抗して逃れようとするでしょう。

たとえ、世界との関係を絶つことはできず、視線やバイアスから逃れることはできないとしても、僕は抵抗せざるを得ない。

なぜ抵抗をしなければならないのかという理由になると、僕はその理由に見合った述語を持ち合わせていないのでうまく表現できませんが、おそらくそれは、もっと原理的、衝動的な部分と関係しているのだと思います。

では。

抵抗の方法にはどのようなものがあるのでしょうか?

大まかに分けて、闘争と逃走があげられそうです。

さて。

僕は世界バイアスから逃れられない。

しかし、抵抗しようと試みる。

闘争と逃走の方法があるけど、闘争は疲れるからあんまりしたくないw

ということで、僕の場合、第一に選択する抵抗の方法は逃走になるので、逃走の経路を確保しておく必要があります。

そして、逃走の経路は人外魔境のもっと外にあります。

とりあえず、バイアスから逃れるために、このブログ内の僕の在りように関わる記事は、書庫「人外魔境のもっと外。」に逃走させます。