群体。

Myspaceに一曲アップしました。
http://www.myspace.com/phizlabstructures
99年頃に作った曲です。
タイトルは「群体」です。
ナレーションしてますwww
以下、ナレーションの内容です。


↓↓↓



アトモスフィア・ゼロからグランド・ゼロへと下降する、ある成人男性についての話し。

想像力の源泉たる、無用の安住の部屋より。
あまねく、すべての良心に見守られ、用無しとされる傍観者は直視しない。
色彩豊かな“平面マンダラ”は、もはや壁へと追い込まれるのみである。
すべての私は、依然、不確定であり、未前提の一つだ。

右目、タワーの左手は月。
左目、タワーの右手は太陽。
志向的な錯覚。
どちらも規範どおりであるべきだと思いたいが、同一性のもと、これも不可能なのである。
根源の近くにある休息場には、老人と女優が巣食う。
右目の老人は機械へと移行し、過宇宙の知恵を私に示す。
左目を離れた女優は、戸惑う私を遠方から凝視する私に、源的な明証性を感じさせる。

安住の部屋に聳え立つ巨大なタワーは、「可疑的なもの」と思考する私を凝視しない。
いわば、一定の能力を貫くことのできない、治療者の機械群を送り出す企業の、内的構造を併せ持つ。
軌道上にある紡柱体の群れ。
それは、対極するタワーの周囲を浮遊し、大陸の俯瞰図を指し示す。
中心円の下にも現れるが、四隅の脅威を捉えた瞬間、規則的に消えうせてしまう。

表現されることと認識。
野性味として代弁者達にのみ語られる倫理は、抗エントロピーの増大のもと、位相変換されたマクロフォームへと流れ出る。
それは、駅で湧いた“立体マンダラ”のイメージであり、全可の世界観の縮小だ。
「社会性の獲得とともに隠しなさい。」
それが、過宇宙の法則である。

老人は言う。「見なさい。あれが目指すべき偏向壁の一つだ。」
女優は言う。「凝視してはならない。もはやすべてである。」
私は思う。「メサデルムの周期。換気扇のマンダラ。実状の逆。あがらう術はない。倫理観。清潔観。嘔吐感。」