集団懐疑。

今。

ふと思ったんですが・・・。

僕たちは、あたかも自分の外側に集団がいて、その集団はそれぞれ個性的な特徴を持っていると思いこんでいるけれども、それって嘘なんじゃないんでしょうか?

錯覚なんじゃないんでしょうか?

集団って、それを認識している自分自身の中で作り出されているんじゃないんでしょうか?

つまり、最初から個性的な特徴を持った集団が存在していて、それを僕たちが認識しているのではなく、認識している“私”自身の中で、“あぁ、この集団はこういう集団なのだなぁ”って、作り上げているってことです。

なんでこんなことをいえるかというと、集団に持つイメージって、人それぞれ違うからです。

“ありえねー。”って感じの集団と好んでお付き合いをあする人もいるし、せっかちな集団を好む人もいます。
おせっかいな集団にやさしさを感じる人もいれば、無口な集団に暖かさを感じる人もいます。
絶対自分は一緒にいたくないなぁって思える集団でも、ほかの人からみるとすごい居心地の良い集団と取られているのかもしれません。

こうしたように、集団を認識しているその人の中で、集団の特徴は作り上げられていくのかもしれません。

そう捉えると、僕たちは視線の奴隷なのかもしれません。
他者の視線にさらされて、特徴的な評価を受けることで、相対的に集団は形づくられていくのかもしれません。
ということは“集団はかくあるべき”と、自分が自分自身の中で一つの理想的な集団像を作り上げてしまうというのは、まるで他者の視線を無視するような、自分勝手で一人よがりなことなのかもしれません。

まぁ・・・だからどうだってこともないんですが・・・なんとなく・・・そんな感じです。