お正月。

お正月っていいですよね。何でいいのかっていうと、そこにはやっぱりある程度の理由とか、そういうものがあるのではないだろうか?どういう理由なのかっていうと、それはお金をもらえるからだ。お正月になると、なぜだか両親とか親戚とかそうした人たちがお金をくれます。あと、おばあちゃんとかおばちゃんがお金を渡してくれます。最初のうちは2,000円とか3,000円とかですが、年齢を重ねていくにしたがって、5,000円とか10,000円になりますが、微妙なのは、高校生くらいになったころであり、なぜ微妙なのだろうか?と、自分の人生を振り返り見て思い返してみると、それは、こんな僕にもささやかながら反抗期のようなものがあったからだ。その高校前半くらいの反抗期の時期は、なんだか親の世話になるのが嫌なもので、お金くらい自分でバイトして稼いでやるって思いと、勉強しといたほうがいいだろうなぁって思いと、働くなんてだるいー、部屋の中でじっとしながらメガドラをしていたい、コントラとかサンダーフォースををしていたいって思いがぐるぐるぐるぐる渦巻いていて、お正月にお年玉をもらうこと自体気恥ずかしくもあり、なんともいえない感じでした・・・結局はへらへらした卑屈な笑みを浮かべながらお年玉をもらっちゃうんですが・・・wwwそうして、お正月はサイコーだ。なぜ最高なのかというと、そこにはそれなりの理由があります。それは予兆的なわくわく感です。前の日は大晦日で、小さいときも遅くまで起きていても怒られないし、夜中までいろいろな番組があってわくわくするからです。そうして、次の日は「明けましておめでとう」という言葉をさまざまな人に向かって発します。・・・その裏には“てめーら早く金よこしやがれ”っていう下心があるにもかかわらず、「新年明けましておめでとうございます」っていう言葉を発します。きっと、お年玉ってアレなんです・・・例のアレなんです・・・免罪符なんです・・・大人が子供に対して持ている罪の意識を洗い流すための免罪符なんです。きっと、“あんまりうまく育てられなくてごめんね。いつも夫婦喧嘩ばかりしていてごめんね。時々強く怒ってごめんね。こんな両親でごめんね。あんまりお金を稼げなくてごめんね。隣の○○君の両親みたいじゃなくってごめんね。”みたいな、両親の中にあるもろもろの罪の意識を帳消しにするために、子供にお金を与えてニコニコ顔にさせておくんです。そして、お正月にはお金を与えた上にお酒を飲ませて、嫌なことはすべて忘れさせて、この世は幸福で住みやすいところで、どんなつらい出来事が起こっても、お正月がくれば幸せになれるんだ、と、子供に思い込ませるためのイベントなんです。だから、子供はお年玉に惑わされちゃあいけない。その両親の贖罪の思いを汲み取ってあげて、“お父さん、お母さん、そんなに悲しまないでください。僕は微笑ましい両親の愛情に恵まれて幸福です。にこにこしながら元気に健やかにその生を全うします。”と思います。・・・それにしても、お正月は良い。なぜ良いのかというと、そこにはいろいろな理由があるからです。なぜならば、凧あげが死ぬほど楽しいからです。あー。凧上げてー(爆)もう、なんだか、思いのさま凧を上げたい気分なんです。そういえば、小学生のころは死ぬほど凧を上げたものだwwwお正月になったとたん、近所の駄菓子屋に乗り込んで、凧をかいます。母親は、去年の凧がのこっているから買わなくてもいいんだっていうけれども、そんなのはあんまし関係ないです。だって、新しい凧がほしいのだもの。でも、近所の駄菓子屋に売っている凧は、去年の凧の売れ残りだったりするんですが・・・そんなのはあんまし関係ないんです。で。凧の糸を数本買うんです。凧についている糸だけじゃあ足りないから、数本買います。そうして、裏の田んぼで凧を上げて、もう、すごい上げます。凧の糸を全部使ったら、その糸に次の糸を継ぎ足して、その糸も使い切ったらまた継ぎ足してって感じで、どんどんどんどん足していって、凧がどんどんどんどん空のかなたに小さくなっていって、小さくなった時点で“あ。これ回収しないといけないんだ。めんどくせー。”って気づいて、少しげんなりしますwでも、大抵この凧は途中で糸が切れてどっかに飛んでいってしまうものです。・・・よく考えたら迷惑な話だ・・・田舎だからできたんだろうな。。。そうしたわけで、凧あげが好きで、裏の畑ですごい凧を上げたから、お正月は楽しいのですが、それにしてもお正月は心地が良いものですね。なぜ心地が良いのかというと、そのことにはそれなりにいくつかの理由があるものです。そうして、その理由というのは年賀状が来るからです。(・・・やばい・・・今・・・“年賀状”って言葉が出てこなかったwww・・・お正月に出す手紙・・・年始のアレ・・・って考えて、しばらくしてからやっと“年賀状”って言葉が出てきた・・・日曜日だし。。。w)小学生のころは、キン肉マンの絵ばかり書いたものです。なぜ、キン肉マンの絵を書いたのかというと、その理由はキン肉マンが大好きだったからです。キン肉マンはすごい馬鹿なんだけれども、すごい強くって、小さいころは友情パワーが本当にあると信じていました。キン肉マンの中でもすきなのはウォーズマンです。。。悲しい噛ませ犬・・・的な役割が哀愁をそそります・・・エヴァンゲリオンの映画の中で、アスカは白い量産型エヴァにやられちゃうわけですが、あのストーリーの流れと脇役という役割からして勝てるわけがないとわかっていて画面を見つめるときに感じる悲しさのようなものをウォーズマンは持っている気がします。それより何より、針(ベアークロー)で相手を刺すってのはありえない(爆)(・・・エヴァといえば、綾波レイっていうのはちび丸子ちゃんでいうところの野口さんですよね・・・誰にも賛同をえられないんですが・・・w)そうしたわけで、僕の出す年賀状にはウォーズマンの絵が描かれたいたものでした。ああ。なつかしい。そういえば、ウォーズマンのマスクってよくとれたよなぁ・・・もっとちゃんとつけとけばいいのに・・・それとも、取り外しが自由になっているものだから、何回も取り外しをしているうちに、カチッっとはまる部分の出っ張りが磨り減ってしまって、外れやすくなってしまっているのかもしれない・・・ってことは、完全に磨り減ってしまわないうちに業者に修理に出すか、ネット通販でスペアパーツをかわないとならないよなぁ・・・っていうか、ウォーズマンは何体もないわけだから、そもそもスペアパーツなんてないのかもしれない。ってことは、出っ張りの部分が磨り減ってしまったら、自分で作らないといけないのだろうか・・・プラパテとかで作るのかなぁ・・・そもそもウォーズマンはそういう技術があるのだろうか・・・プラパテを使って出っ張りを作り直す技術があるのだろうか・・・きっと、頭の中に電光掲示板があるからできるはずだ。もしできなかったとしても、師匠であるロビンマスクはプラパテでものを直すことができるのかもしれない。いや、ロビンはいいとことの出だから、そんなことはできないか。。。と、すると、あの正義超人の中で、ウォーズマンのマスクを直せることができるのは誰だろうか・・・やっぱりキン肉マンなのかなぁ・・・友情パワーだしwで、お正月は年賀状がたくさん来てうれしくて、両親の元に来る年賀状の多さを見て、“あぁ。うちの父親はなんと人望の厚い人なのだろうか。きっと、大人になるとはこういうことで、いろいろな人とお付き合いをしながら、顔を広めて、地域で社会生活を行っていくということなのだろう。僕の年賀状はクラスの数名からもらったものだし、父親は偉大だなぁ。”と思ったことでしょう。だがしかし、30過ぎた今現在、お正月に年賀状なんて、まったくきません(爆)誰からもきません(爆)そういえば、2年前にはデイケアで講義をしてくれた内科のDrから年賀状がきたけど、だるくって、そのDrに返事を書くのをわすれちゃって、申し訳ないおもいでいっぱいです。そのほかは、なんだかお店からの営業的年賀状ばかりだ。。。もし・・・ひょっとして・・・小さいころ父親の元に大量に届いていた年賀状のほとんどが、営業的年賀状だったらいやだな・・・w・・・いや・・・そんなことはあるはずない・・・その証拠に、うちの父親は年賀状を分類しながら見ていたからです。あと、お正月は初詣に行きます。そういえば、初詣の神社で、僕は知り合いにあったことがないんです。お正月に初詣に行って、友人にあって、明けましておめでとうございますの挨拶をするってことがないんです。。。なぜだろうか・・・たまたまだろうか・・・たまたまだろうな・・・それとも、僕の家族の行きつけの神社は、友人がいかないマイナーな神社だったからだろうか・・・・それにしても、大学を卒業したころから、父親はお正月に親戚の家に僕を連れて行かなくなった・・・なぜだろうか・・・それまでは年に何回かいっていたのに、大学を卒業した年から、なぜ僕を誘わなくなってしまったのだろうか・・・・・・・・・・・・。。。まぁ・・・いいや。。。たまたまだろうな。。。w



今日の友達とのメールの内容。

友人:お正月はサイコーだ。
僕:お正月いいね。

なぜ、30過ぎたいい年した男性がお正月の良さをメールで語り合っているかというと、電気グルーヴのアルバム「ドラゴン」に“お正月”ってタイトルの曲があるから^^
“お正月”って曲は良いんです。
なかなかかっこいいんです。
多分聞いたのは10年ぶりくらいですが、なかなかかっこいです。
・・・っていうか、「ドラゴン」はマニアックで良好です。
でも、アルバム「ビタミン」はちょっと聞けない。
“富士山”に世知辛い思い出があるから、聞くと脳内が“ぐおー”ってなって、そわそわしてくるからちょっと聞けません・・・それも思い出のひとつです・・・が・・・だがしかし・・・お正月。