メソ・イグニクゥオ。

先日、僕はこのブログに記載するための、“面白いであろうコメント”を思いつきました。

僕の思いついた“面白であろうコメント”は、面白いんです。
だがしかし、その面白さは尋常ではありません。

異常なのです。

多分、人が死にます。

いや、確実に人が死にます。

人が死ぬと、僕は嫌な感じになります。
嫌な感じになって、朝、出勤するときの車の中とか、帰宅するときの車の中とか、そうした車の中で、嫌な感じになってしまいます。
そして、僕は、車の中で嫌な感じになりたくはないのです。

そのうえ、僕が思いついた“面白であろうコメント”は、決して安全な内容なんかではありません。

ある種の人たちは、あからさまな嫌悪感を示すでしょう。

非人道的であるとか、反社会的であるとか、極端な話、差別的だという避難を受ける可能性があります。

おそらく、その“面白であろうコメント”をのせた瞬間、僕と僕の家族、及び僕の一族は、この世から抹消されるでしょう。
そして、“あってはならない一族”として、闇歴史の中に葬り去られます。

確かに僕は、あまり家族思いではないかも知れない。
両親の記念日にプレゼントをしたことなんて、小学校の時以来、一度もありません。
しかし、家族が嫌いというわけでもないのです。

ですから、僕が思いついた“面白であろうコメント”により、両親が永劫の苦しみを味わうのかと思うと、僕は記載することが出来ないのです。


だがしかし、僕の“面白であろうコメント”を支持すると思われる一群がいます。


彼らは、国の安全を守る人たちから、“極我に耽る人たち”と呼ばれています。

そして、“極我に耽る人たち”は“知られない教団”と関係があります。。。

“知られない教団”は、長い歴史を持ちます。

人類史が始まったのと同じくらいの起源を持ちます。

その時代、地球の大きさは、今の3分の1程度でした。
重力が小さかったから、人は巨大で、長生きでした。
さらに、地軸が逆転していました。

つまり、神話の時代です。

彼ら“知られない教団”は、“知られない教団”よりもずっと昔から受け継がれてきた技術と知恵を使って、地球を守ってきました。

太陽系の小惑星に点在する“太陽系ディフェンスシステム”を巧みに操り、冥王星の遙か向こうにある“境界線”をメンテナンスして、他の知性が太陽系に進入してこないように、監視していたのです。

しかし、木星の火山が噴火したあたりから、彼らの監視システムは崩壊を始めました。

木星の火山から吹き出た固まりは、地球以上の大きさであり、太陽系内を暴れ回ります。
そもそも、“太陽系ディフェンスシステム”は、外宇宙から太陽系に進入してきて、惑星に衝突するであろう小さな隕石を破壊するために作られたものです。
ですので、地球以上の大きさのものを打ち落とすということはおおよそ想定していなかったのです。

今や、この“地球以上の大きさのもの”は自由自在に太陽系内を暴れ回り、既に火星の酸素を奪い取ってしまいました。

地球も、文明崩壊の岐路に立たされています。

“知られない教団”の中には、3つのレベルで、こうした事態に備えるすべが伝えられています。

一つ目は、“太陽系ディフェンスシステム”のように客観科学的な技術を使う方法です。
しかし、“地球以上の大きさのもの”は大きすぎるので通用しません。

二つ目は、祈りの奥義を使う方法です。
いわゆる、魔術です。
魔術は確かに強大であり、惑星を破壊できる力を持ち合わせています。
しかし、魔術を発動させるには、時間がかかりすぎるのです。
惑星規模の破壊をもたらす術を発動させるには、ク・トゥソウとメソ・イグニクゥオの術師143人が、78年かけて祈り続ける必要があります。

そんな時間は残されていません。

残された三つ目の方法とは、“大いなる種族”の力を借りる方法です。

そもそも、彼ら“知られない教団”は、“大いなる種族”の謎を探るところから始まっているのです。

彼ら“大いなる種族”は偉大な生き物です。

しかし、僕たちは彼らのことを何一つ理解することが出来ません。
なにが目的でなにをしたいのか、なにに恐怖しており、なにに安寧を感じることが出来るのか、そうしたことは何一つわかりません。
ただ、把握できるのは、大きな力を持ち、何故か眠りについているということだけです。
そして、彼ら“知られない教団”は、“大いなる種族”の力を借りることにしました。

まず、月が割れます。

月の内側には、実は水が詰まっていました。
“大いなる種族”の一時の目覚めに呼応して、月は引き裂かれ、その水は、地球にめがけて迫ってきます。
しかしその落下は、一瞬ではありません。
まず、その水は、地球の上部に氷の膜をつくります。
この、氷の膜が出来たため、地球は救われたのです。
“地球以上の大きさのもの”は、地球すれすれまで接近し、地軸の逆転現象を引き起こしたのみで、去っていきました。
“地球以上の大きさのもの”は金星として、今の軌道上に収まっています。

その後、地球を守ってくれた氷の膜は水となり、地球に押し寄せてきます。
それと同時に、地球は今と同じ大きさとなり、生き物は以前のように巨大になることもなく、短命になりました。
“大いなる種族”は再び眠りにつくこととなり、その出来事は各地に神話として残っています。

地球は“知られない教団”により守られたのです。

しかし、三つ目の方法にはリスクがありました。

“大いなる種族”の目覚めには、それなりの代償が必要だったんです。

それは、“生きる力”です。

生き物が、この世に乗り越えでて、様々な自己表現を続けるための“生きる力”です。
そうした“生きる力”を“大いなる種族”は欲したのです。
それも、今後数万年にわたってです。
地球を守り抜いた“知られない教団”は、この時期を境に、人類の的となります。
人の命を奪い、“大いなる種族”に捧げる、邪教団となったのです。

国を守る人たちは、“知られない教団”のことを知っています。
“知られない教団”がどんなすばらしいことをして、それにはどんな代償が必要なのか、知っています。
ですので、国を守る人たちは、必要なときに必要な“生きる力”を集められるシステムを作り上げました。

まず、人々から“自分で考える能力”を奪います。

この世が現象する仕組みを見抜く力を奪い取ります。

こうして、この世と距離が取れなくなった人類に対して、理念を植え付けます。
主義や主張や思想です。
もはや、“自分で考える能力”が無くなった私たちは、簡単に主義や主張や思想と一体化してしまいます。

そして、真実の主義や真実の主張や真実の思想に魅了された人類は、対立し、互いに殺しあい、その死により奪われた“生きる力”は“大いなる種族”に捧げられることになります。。。



さて、僕が思いついた“面白であろうコメント”についてです。
なぜ、僕の“面白であろうコメント”を“極我に耽る人たち”が支持するのかというと、その内容が似ているからです。
僕の“面白であろうコメント”の内容が、“大いなる種族”を完全に目覚めさせるための言葉に似ているからです。

そして、“極我に耽る人たち”は、“大いなる種族”が復活することを望んでいます。

僕が“面白いであろうコメント”をこのブログに記載し、“極我に耽る人たち”が必要な手順でその言葉を唱えれば、“大いなる種族”は本当に目覚めることになり、今まで以上に“生きる力”が奪い取られてしまいます。
つまり、“知られない教団”の功罪も、国を守る人たちの苦渋のシステムも、すべて無駄になってしまいます。

ですので、確かに僕が思いついた“面白いであろうコメント”は面白いのですが、そのコメントをここに記載するには余りにリスクが大きすぎます。

そして、僕はヒト科の尊厳と人類の威厳に背を向けることができないので、あえて、“面白いであろうコメント”を記載することを控えます。

・・・ほんとに面白いコメントなんですが。。。w