世界系。

去年の5月頃の出来事です。


連綿と続く世界の連関の元、コード・アキバにて記述の技術を取得すべく家を出ました。

しかし、世界の遇有性に強制され、僕はINDRAに会うことになりました。
しかし遇有性は、さらにの脅威を僕に見させ、それは、今日に限って柴又祭りだったということです。

人の人たるゆえんのひとつに、世界から距離を置いて考える、“世界開放性”をあげることができます。(シェーラー)
わたしたちは確かに世界から離れて生きることができず、そこには、その人がどのような意識を持とうが、世界の連関の元に組み込まれてしまっているという現実があります。
しかし、僕たちは、そのような世界の根源的なありように抗って、世界との癒合性に一時停止をかけて、振り返って考えることができます。
いわゆる反省的な態度に立ち返ることができること、これが、人間を人間たらしめている第一の契機といえます。
 
さて、今日、世界の遇有性は僕に柴又の祭りを見学することを強制させました。
そこで目にした光景は、ある障害者施設が繰り出す出店の数々でした。
身体や知的に障害がある子供たちが、フランクフルトやたこ焼きを売りさばいていました。
僕は小腹が空いたので、たこ焼きを買おうとして、おばちゃんに「たこ焼きください」というと、おばちゃんは「たこがなくなっちゃんです。すみません。えびが入ってるんだけど、200円です」といって、僕は“200円ならお得だなぁ”と思い、たこ焼きの入ってないたこ焼きを買い、帝釈天の境内で食べていました。
すると、知的の女の子(おそらく30代)がやってきました。
満面の笑顔で近づいてくると、「こんにちは。お兄さん元気?」と話しかけ、握手を求めて去っていきました。

僕は今日、自然の持つ遇有性に強制されコード・アキバの連関からコード・INDRAの連関に組み込まれ、帝釈天の境内で見せられた者は、知的障害の子供の奇跡のような親しさだったのです。


知的障害の子供は世界解放性が阻害されています。
自分と世界とのあいだに距離を置くことがとれず、それゆえに直接的な応答しかできません。
振舞うべき場所で振舞うことができず、その場の雰囲気や感じに即した行動しか取れません。
気分が悪けりゃところかまわず泣くし怒るしうんこもするってことです。

だが、世界開放性の阻害が、そのまま生き方の不幸につながるとは思えません。
僕たちが日常、恋愛経験でもない限り味わうことができない、奇跡のような他者理解体験を、いともたやすく実現してしまうんです。。。

世界と距離をとらず、見ず知らずの他者に笑顔で近づき、親しみ深さを残して去っていく。
おおよそ日常を生きている人間にはまねできないやり方で、自己と他者との架橋を、彼らは難なくこなしてしまいます。

確かに、知的障害の子達の陥っている世界開放性の欠如は、私たちの日常性という価値観に規定された視点からは不幸な出来事かもしれませんが、それは直ちに保護すべき何者かなのではなく、私たち日常に規定された不幸な人間には生きることのできない、他者との癒合的世界を生きている称えるべき出来事なのであろうと思いました。


かくして、INDRAは庇います。

世界との癒合的状態を生きざるを得ずに生きている子達を庇います。

こうした多様な現実を許容する帝釈天の境内は、いくつもの可能的な現実が混濁している感じがして、心地良かったです。