転々と見る。

転々と眼前に移り変わるのは、実在的な光景ではなく、意味の群れなのかもしれません。

僕たちは確かに、実在的な超越に囲まれて生活をしているのですが、その超越とは、僕たちによって意味を与えられた、“意味に彩られた超越”と表現できそうです。

客観的な空間の中に生活しているというより、意味で彩られた意味の空間の中で生活しているというニュアンスです。


先日、近場の公園を転々と散歩をしました。
ぐだぐだだらだらと歩いたんですが、その場所で移り変わるのは意味です。
河原のきらきらした感じとそこから連想される僕の履歴に眠っているすべての出来事とか、植物のぞわぞわした感じとそこから連想される僕の履歴に眠っているすべての出来事とか、カルガモや鯉や警備のおじさんやそこから連想される僕の履歴に眠っているすべての出来事とか、冬の感じとそこから連想される僕の履歴に眠っているすべての出来事とか、そんな感じで、僕の目に映っているのは客観的な光景というより、世界の内側から彩られた意味の群れでした。


で、そのあと三木聡監督の映画、「転々」を見た。

くだらない。

しみじみとくだらないw

東京を散歩して100万円もらうっていう、けっこうくだらない話なんですが、なんていうか、虚無を見つめているくだらなさっていうか、しみじみとしたくだらなさが心地よくくだらなくて、結構面白かったです。
主演のオダギリジョーがおかしな髪型でおかしな表情をして、結構面白かったです。
あと、時効警察のキャラもでててなんだか良かったりw
小ネタ満載でくだらなかったりw
僕たちは世界に意味を与えながら生きる生き物だから、“意味に彩られた超越”の中を生きざるを得ないのは仕方がないことだけど、“意味に彩られた超越”と仲良くお付き合いするためには、こうしたくだらなさを対処技能として鍛えていくことも必要なんだろうなぁと思いました。

そうしたわけで、転々とした感じです。

あと、仕事の中では、客観的な現実が次々と押し寄せてくるので、そうした定立化した意味の群れと、どうやって仲良くお付き合いをするのかが問題です・・・が・・・それはそれで・・・まぁ・・・なんていうのか・・・明日も仕事ですw