物語の彼。

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中学・高校と、吹奏楽部でユーホニウムを吹いていました。

なんていうか、僕はひねくれ者だったんで、指揮者に従うのが嫌でした。
・・・まぁ、それをいっちゃー元も子もないんですが・・・w
なんていうか、自己表現している気分にはまるでなれなかったんです。
楽器を吹いていると、自分がまるでシーケンサーで動かされている音源であるかのような気分になってきて、なんか嫌だったんです。

かといって、生楽器には興味がもてませんでした。
例えば、ロックとかパンクスとかラウンジとか、ギターとベースとドラムとで作り上げる音楽って、とても封建的な感じがしたんです。
勝手な思いこみですし、そうしたアンプラグドな音楽に心を動かされることも涙することもあるんですが、高校生の頃の僕には、アンプラグド=体制的みたいに、堅苦しさの象徴として写っていました。
(今はそんなことないです。。若さですw)


・・・ぶっちゃけ、アトピーで自分の体が嫌いだったから、まじめに“脳みそを機械に繋げられないかなぁ。”とか思っていたし、ニューロマンサーのケイスたちみたいに“肉体を蔑む傾向”ってのがよく理解できたんです。
だから、そのころの僕にとって、生バンドをしている連中は、“身体的に制限された想像力に乏しい人”でしかなかったわけです。

こんな風に思ってたんですが、高校のころ、オールインワンシンセサイザーのEOS(小室哲哉が宣伝していたヤツ)を購入して、僕もバンドを始めました。

うるさい曲や勢いだけのバンドは嫌だから、ちゃんとシンセと生楽器がバランスの取れた、ちゃんとした曲をやろうと思って、ドラムの人にはヘッドホンしてもらってシンセとの同期を取りながら演奏してました・・・音楽の才能なんてなかったんで、やる曲といったらヒット曲のコピーなんですが、それなりにアレンジしたりと、いろんな工夫をして演奏してました。

で、音楽の才能なんてまったくない僕が、なんでバンドを出来たのかっていうと、ドラマーのおかげなんです。

こいつ、凄いヤツなんです。

音楽については凄くって、なんでも出来ちゃうヤツなんです。
自分の身体と楽器が癒合しているっていうか、思い通りにプレーが出来ちゃう凄い人物なんです。

で、僕も負けまいと思って、そいつみたいに巧みに演奏することは出来ないんですが、いろいろテクニカルな打ち込みをしたりアイデアを出したりと、“想像力なら負けないぞ!”と思って頑張っていました・・・今思うと楽しかった^^

そいつは、ベルセルクでいうグリフィスのような、デビルマンでいう飛鳥了のような、自分にとってはライバルにもならないような、凄いヤツだったんです。

結局、高校卒業してそいつとは離ればなれになりました。
そいつはドラム一筋で生バンドを続け、僕はサンプラーとアナログシンセでアクロバティックな(悪くいえば一発芸的な)曲を作っていくこととなりました。


吹奏楽アトピー経験で得た、“価値観を疑ってかかる傾向”ってのは、一時期作曲って形で自己表現の道をたどったんですが、その後、いろいろあって、哲学や現象学に触れることになって、現在は精神保健の領域に続いています。

で、今年の始めに同窓会がありました。
僕もなんだかいろいろあって職にも就けたし、参加するのも悪くないかなぁと思って参加したんですが、参加してびっくりです。
そのドラマー、未だに音楽続けてたんです。
しかも、コンビニで働きながら・・・。
なんつーか、いろいろ複雑な思いでした。
まず、“すげー。”ってのと“羨ましい!”って思いがありました。
自分は途中であきらめたもの今でも追い続けているってのは、やっぱり凄いことです。
今でもキリッとしていて、シュっとしていて、やっぱり“なんでもできるヤツ。”なんです。
・・・でも・・・それと同時に・・・なんていうか、“現実味のない感じ”ってのも感じました。
まるで、物語の中みたいに作られた世界の中を生きているような、そんなズレを感じたんです。
それが“良いこと”とか“悪いこと”とか、そういうことじゃないんです。
そういう倫理的・道徳的な価値観を抜きにして、現実感を欠いた感覚・・・かっこつけていうと“日常との差異性”みたいなものを如実に感じたんです。

異文化コミュニケーション的な感覚かも知れない。。。

・・・僕が異邦人と化したのか、彼が異邦人と化したのか、それは何とも言えません。。。彼から見ると、僕は精神保健なんていう物好きな仕事をしているわけだから、どっちがどうとは言えないんですが、なんていうか、彼は物語の人みたいでした。


結局、連休中で楽しめたのは初日だけで、後は掃除に明け暮れていましたw
掃除をして、記憶の過去ログを整理していると、そんな彼のことを思い出しました。。。