レーテー。

僕たちはなんて忘れっぽいんだろうって思うことがあります。

それは、四季の移り変わりを感じた瞬間です。

この数日、ちょっと寒くて、“ありえねーw”とか思ってるんですが、これってよく考えると、毎年恒例の出来事なんですよね。

毎年、“あちー。ありえねー。”とか、“さみー。ありえねー。”とか、“桜すげー。”とか、“ちょうど良い。”とか“雪すげー。”とか、“紅葉すげー。”とか思ってるわけです。

毎年恒例の出来事なのに、その都度びっくりするってのは、ある意味間抜けかもw

でも、ちょうどよく忘れることができるから、季節に感動できるわけで、そう思うと忘れられて良かった^^

で、きっと来年も、暑いのに驚いたり寒いのに驚いたりするんだろうなぁ。

先日、ある人が“精神薬って忘れ薬なんですよ。”って言ってたんですが、ある意味的を得ているのかも知れません。

僕たちは、僕たちの履歴の中に実体化していく価値の群を、上手に忘れることができないと、現実は硬化してしまう。

最近、中学の数学をやり直しているんですが、なんだかいろいろ忘れてることが多くって、正直自信をなくしましたw
でも、きっとそれも、現実が硬化しないための対処の方法としての忘却ならば、ひょっとしたら必要な忘却なのかもしれません・・・という解釈は、自分の頭の悪さを都合良く正当化しているだけかもw

・・・最近、忘却の対処技能は、もの凄く大切な技能の一つなんじゃないかと思えます。