条件。

前、仮面ライダー響鬼にハマってました。

響鬼はかっくいーんですw

彼は大人の男性だからかっくいーんです。

自分の履歴を自分の責任の元に了解し、その了解を元これからの自分の在り方をめがけていくような、そんな構えを持っているので、彼は自己規定的に存在することができています。
闇雲に戦うんじゃなくって、戦いは仕事であり、業務であり、自分で選び取られたものだから、意味のある戦いをするんです。

つまり、響鬼は大人です。

大人で、頼りになる兄貴って感じで、しかも不安や恐怖に対峙して、悩みながら先に進もうとしているから、彼はヒーローの条件を満たしています。


現実の世界でも、稀に、ヒーローの条件を満たしてしまう人がいます。

昨日のボクシングの試合で亀田に勝った内藤は、そんな稀な人だと思います。

相手は18歳の子供です。
ある意味とても無邪気な家族に育てられた未熟な子供です。
彼らは客観的な価値評価を利用すれば上手く生きていけると誤解している。
客観的な価値評価とは定立化された価値観です。
幸福とか不幸とか、真実とか嘘とか、実在的な強さとか弱さとか・・・。
つまり、勝てばいいと思っている。
ショウとして成立すればそれでいいと思っている。

理がない。

意味がない。。。

それに対して、内藤には道理があります。
響鬼が持っているような、大人の道理があります。

内藤には意味がある。

普段はスポーツなんて見ないし、スポーツなんて“他人の運動”としか思えないけど、今回のボクシングをドキドキハラハラして見れたのは、大人の道理は負けてはいけないからです。
もし、内藤が負けちゃったら、社会の形式が崩れちゃう。
大人は子供が悪いことをしたら叱ってあげなきゃならないんだけど、もし内藤が負けていたら、叱れる大人がいなくなっちゃうんじゃないか?っていう、ちょっと拡大解釈された不安感さえも感じていましたw


で、内藤が勝ってほっと一安心ですw
彼は普通の大人として、勝つべき試合に勝つことができました。
彼は見事にヒーローの条件を満たすことができました。

良かった^^


ここで注意したいのは、内藤が何か特別な人物であるからヒーローだ、ということではなく、きちんと努力をしていたら、こなすべき仕事をこなすことができ、それがヒーローの条件と偶然にも一致していたから、ヒーローとして讃えられるべき資格を獲得した、ということです。

内藤が正義の味方だからヒーローというわけじゃない。

逆に言えば、亀田が悪人ってわけでもありません。

価値観を定立化させない視点、価値の手前にある関係性を見つめる視点から考えると、亀田のヒールっぷりには意味があります。
関係性の中でキャラクターを負わされている節がある。
父親と兄貴と社会(マスコミとか)との関係性をみつめると、たしかにああしたヒールな行動をとらなきゃならないんだろうなぁって思えてくる。

もし、亀田が自分で考えて、自分で次に進もうとするのなら、それは全く偶然に、ヒーローの条件を手に入れる可能性もありえると思います。


昨晩の内藤は、大人の道理の番人としての仕事を見事に果たすことができたので、見ていて胸のすく思いでした。

うれしかった。

とりあえず、努力してみようかなぁって思いました^^