自動的世界。

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世界が硬化し出すと、身体がオートマチックに自己表現を開始します。


生きていると、世界が硬くなる時があります。
日々の生活に余裕が無くなると、世界が息苦しくなってくる。

例えば、仕事で上手くいかないことがあると、眉間には皺が寄ってくるし、表情もこわばってくるし、冗談の一つも言うことが出来なくなってしまいます。

何を見ても悪態をつきたくなります。

晴れてても“晴れるな!”って思うし、喋る人を見ても“喋るな!”って思うし、子供を見ても“とっとと成長しろ!”って思うし、街頭で募金活動をしている子供たちを見ても“この、かつあげ集団め!”って思うし、歩いてる人を見ても“コケろ!”って思うし、学生を見ても“勉強するな!”って思うし、朝になって目が覚めても“覚めるな!”って思うし、かぐやが写したきれいな地球を見ても“地球更地になれ!”とか思っちゃいます。

余裕が無くなると、世界が硬くなります。


こうした、切羽詰まった状況って、けっこうやばいです。
そうしたときにマイナスのタイミングが合っちゃうと、簡単に病気になっちゃいます。


で。


人間の綜合的な身体って凄いものです。

こうした硬化した状況になると、身体が自動的に危機に対する対処技能を発動させてくるんです。


今朝のことです。
朝起きて、いつものように不快で、半ギレでゴミ出しをして、そのまま車に乗って出勤しました。

・・・車を運転していると、足下にビミョーな違和感を感じます。

・・・足下になんともいえない不全感がある。。。

・・・なんだか、僕は右と左で別々の靴を履いたまま出勤してしまったのです・・・w。。。


あー。
車の中で一人で大爆笑です。

なんつーか、間抜けな自分の行動に情けなさを感じるとかじゃなくって、ここ最近の出来事が、この“右と左で別々の靴を履く”っていう現象に収束してるって感じがしました。
今までの張りっぱなしのテンションが一気に砕けて、“そういうことか!”って腑に落ちた感じです。
世界に対する不全感も、今日の大爆笑のための巨大なフリだったのかって思うと、なんだか全てが許せる感じです。

職場に着いてからも、なんつーか、笑顔が止まらないんです。
嫌な上司に対しても、この足下の違和感を見せるだけで、場が和むっていうか、とりあえず笑ってくれます。

次の飲み会のネタが増えました。

あー。
足下の違和感に感謝w


・・・こうした視線、つまり、事実の繋がりで因果的な解釈を施していくのではなく、意味の繋がりで絵解きをしていくやり方で世界を見ると、意外と綜合的な身体からのメッセージは送られて来ているもので、それに気付くことができると、結構世界は面白いです^^