紡ぐ形式。

形式を作り出しては相手に投げつけて、そういうことの公式化を繰り返すことで、僕たちは主観の牢獄から脱出することを試みているんだろうなぁ。


今日、勢い余って、2004年公開の映画、「ULTRAMAN」を見ましたw

主役は中年のおとうちゃんで、結構仕事熱心な自衛隊パイロットです。
子供のために仕事を辞めるんですが、除隊するときに仲間に向かって敬礼をするんです。
敬礼自体は形式的な動作であり、後付けの意味の投げかけでしかすぎないんですが、お互いが形式的な動作をしあっている様を見ると、その決まりきった動作だけでお互いに分かり合えているっていうか、理解し合っているっていうか、そんな感じがしました。

魔法を唱えてそれが効力を発揮するのは、きっとその呪文が他者との間で公式の意味を持った時なんだろうなぁって思います。
そう思うと、儀礼的な形式的動作には、意味を詰め込んで相手に思いを伝えるような、そんな呪文のような役割があるんじゃないかなぁって思いました。

さて、僕には他者に思いを伝える形式的動作がいくつあるのかなぁって思い返すと、結構少ないですw

・・・まぁ・・・なんていうか・・・うーん・・・形式を取り出しては現実に投げつけてサバイブしていくような、そんな姿が思い描かれて、それは、形式を重んじる文化的な背景がなくなってきているってことでもあるんだろうけど、そこには新たな形式を作り出す可能性もあるだろうから、僕も形式を作り出しては投げかけて、トライ&エラーを繰り返しながら、現実をサバイブ中です^^