正役目ー反役目。

・・・仕事の愚痴を、極力現実味のない表現方法で書きますw



善意の保護者に犯されそうな気分。。。

彼らの白々しい人なつっこさは、気味が悪い。

土足で他人の不安に上がり込んできて、人の不安を矯正しようとする。

善意の保護者は正しいことしか言わないんです。

だから不気味。

・・・僕は哲学するんですが、哲学者は不安にならないといけない。。。それは、剥き出しの現実に接近していくということです。
哲学のどのジャンルでもそうだと思うんですが、すれすれの現実に接近すればするほど、不安に襲われます。
で、不安に襲われていると、善意の保護者が寄ってくるんです。

で、幸せになるための方法を教え込もうとする。

こっちは不安とお付き合いするのが仕事なのに、彼らは予定調和的な幸福の中に自分や僕を押し留めようとする。
僕は理念の持つ現実を探るのが役目なのに、彼らは理念を押しつけてきます。。。しかも、奇跡のような親しさで!

善意の保護者は、最初僕のことを仲間だと思って近寄ってくるんですが、僕が理念を解体する人だと知ると、面食らって逃げていきます。

そうしたことで、友人になりかけたけど、別れていった人は何人もいます。

まぁ・・・しゃーない・・・それは、そうした出会いだったんでしょう。

もし僕が、現実の成り立ちを探る仕事を放棄して、不安を殺して幸福を目指そうとするのなら、彼ら善意の保護者の仲間入りをするかもしれません。

しかし、今のところ僕はそうした役目にないんです。
現実を探るのが役目です。
しかし、因果的にそうした役目にいるわけでありません。
運命論的にそうした役目にいるわけでありません。

そうではなくて、意味の網の目の関係性の中で、僕には僕の役目があるんです。
それは、今のところ、実体化してしまった理念を解体して、その現実を探ることです。

・・・きっと、僕にとって善意の保護者は驚異的だけど、善意の保護者にとっても僕は驚異的なんだと思います・・・って、仕事の愚痴だよなぁ・・・w