不足。

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慢性的な猫不足のため、僕の中の“猫度”が7さがっています。

いつもは12なんですが、7さがると9になります。
6のときや4のときは、どちらかというと“犬度”や“時間軸がズレている老人度”が46になることが多いのですが、それにあわせて“小学校6年生の時ひょんなことから仲違いしてしまって、そのまま口を聞かなくなってしまった友人に10数年ぶりの同窓会で出会って、口を聞いて良いものかどうなのか判断に迷う度”が128あがります。
その影響かどうかはまったくわかりませんが、一万倍になったり、“ぼんやりとした不安度”が出たり消えたりします。

それにしても、一昨年まで38だったものが今年に入り92になると“必要な怒り度”が引っかかったり引っかかったりしなくなるので、穏やかな心で人類平和を願えば、108引かれるので、“身代わり不幸度”は4増え、“身代わり幸福度”も4増えます。

ということは、猫に触れて“猫度”を順番にあげていかないとなりません。

しかし、猫に触ったあとは手をきちんと洗わないと、体がかゆくなり、その手で目を触ると目が腫れます。



ヤマアラシのジレンマとかってあります。

ヤマアラシは仲間と仲良くしようとして近寄るんですが、近づけば近づくほど、自分の持つ棘で相手を傷つけてしまうっていう、例のアレです。

僕にとっては猫ジレンマです。
今でこそ、そんなに深刻な問題ではありませんが、小さい頃は“猫可愛いなー”って猫に触ると、目が腫れて咳が出て、ジレンマを感じていました。

近づけば近づくほど相手を傷つけてしまうってのは、なんとももどかしい話だし、“そんなんなるんだったら、近づかなきゃーいいじゃん”ともいえるんですが、なんだか近づいちゃうみたいです。

最近、何とも言えない感じに陥ることがあります。
その人には人格的に未熟なところがあって、成長しきれていないところがあります。
で、その成長しきれていないところを問題として主題的に捉えていると、同じ問題で悩んでいる人とは話が合うようになります。
ピア・サポートとかが成立するのは、問題を主題的に捉えることが出来ている限りにおいてなのかもしれないです。
で、同じ問題を抱えている人が異性だったりすると、やっぱり好きあうんですが、問題そのものが人格的な未熟さがだから、互いにヤマアラシのジレンマみたいに傷つけあってしまいます。
だからといって、恋愛することを妨げるわけには行かないし、そのジレンマを逆に主題的に捉えて成長できる可能性もあるわけだし、なんともいえないです。

きっと“なんともいえない”感じを自己表現するのが大切なんだろうなぁ。

だから、“なんともいえない度”が97になったんですが、それは“猫度”が7さがるということと、何ら因果的ではないんですが、意味としては必然的です。
しかし、“深夜のコンビニの店員のやるきのなさ度”とか“地球平和度”は、“大学の頃の同級生が、学食でメロンソーダを購入する度”とは無縁ではないだろうし、そう思うと一万倍になるけれど、9さがるよりは5増え、7さがるので、やっぱり“猫度”がさがっているので、慢性的な猫不足であることにはかわりがありません。