久遠塔 2-1。

~既在の過去へダイブします。~

久遠塔の発見から1ヶ月後、田舎の方で同窓会がありました。

中学校の同窓会です。

これまでも何度か同窓会の誘いはあったんですが、なんか気恥ずかしく、断ってばかりいました。
しかし、以前田舎に帰ったときに、偶然にも道ばたで中学の同級生に出会い、直接同窓会があることを知らされたので、行かないわけにはいかず、ちょっと気恥ずかしい思いもあったんですが、スマートを飛ばして田舎に帰りました。

久しぶりに顔を合わせる人もいて、最初はビビりながら話していたんですが、面白いもので、数分すると中学の頃の雰囲気で話せるんです。
もちろん、もうみんな大人ですし、それぞれの人にはそれぞれの人生を経てきているわけだから、何もかも中学の頃と同じとはいかないんですが、それぞれががそれぞれの役割にすっぽりと収まってしまうような、懐かしい関係性が復活するんです。

中学の頃騒がしかった人はやっぱり騒がしく、リーダー的だった人はやっぱりリーダー的であり、面倒見が良かった人はやっぱり今でもそういう役割でいます。

で、こうした役割は、この、中学の関係性の中だからこそ成立するところがあります。

僕の場合、中学の頃の関係性の中での役割といえば、“休み時間とかには隅っこの方でじっとしていて、かといって反社会的でもなく、たまにトリッキーな言動をしてみんなの気を引こうとする変なヤツ”みないな感じなんですが、現在の僕も必ずしもこういった役割をしているとは限りません。
職場では、少し指示的にならなければならなくなることもあるし、場面によっては道化のように騒がしくしないとならないときもあります。

しかし、今回の同窓会で感じた懐かしさっていうのは、あのとき持っていた自分の役割に、何の抵抗もなく戻れてしまうところです。
その懐かしく心地よい役割に戻ってみると、中学時代から現在までの自分の役割の変化みたいなものを味わい深く感じることができます。