久遠塔 1-2。

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さて、ここで、はたと気付いた現実の様態が一つあります。

それは、僕は決して、この鉄塔の中腹にはたどり着けないだろう、ということです。


この鉄塔は、僕にとってプチ彼岸状態になっているw

もし僕が電気会社の職員で、この鉄塔に登ることが許可されているのなら、この鉄塔は彼岸でもなんでもない、単なる日常的な鉄塔です。
しかし、電気会社の職員ではない僕が、この鉄塔の中腹にたどり着こうとするならば、そこには様々な壁があります。
まず、僕達を規定している日常性や常識性といった、目に見えない理念の群と対立しなければなりません。

もし、こうした理念の群があることを無視してこの鉄塔に登ったならば、僕はすぐさま付近の良識ある住民の手により保健所に通報され、適切な治療施設へ連れて行かれるてしまうでしょうw
それ以前に、鉄塔の知識の無い僕が鉄塔へ登ろうとしたら、滑り落ちたり、感電死してしまうかもしれない。

僕はこれまでこの鉄塔に触れたことが無く、また、これからも触れることがないでしょうが、僕は鉄塔がそこに“在る”という現実感に対して疑いを抱きません。
鉄塔がそこに実在するということを、直接的に実際に触って、臭いを嗅いで確かめてみたわけではないけれど、僕は鉄塔が実在すると思いこんでいる。

これが遠くに在るものの実在性の様態です。