ジャパンツアー2011in八幡宿。

ジャパンツアーをすることにしました。


なんだかもうすぐ35歳だし、魔術習い始めたし、そろそろジャパンツアーやってもいいんじゃないか?って気分になってきたんです。


世界感性というものがあるのです。


ツアーで回る場所っつったら、まず、千葉県の八幡宿は外せないな。それから、五井。あと手賀沼のほとりと市原の海釣り公園。練馬の光が丘公園とかw
こうしたところをジャパンツアーできたらいいだろうなぁ。


たとえば、外国人の女の子が日本のオタク文化やビジュアル系の音楽に興味を抱いて、それらを大好きになって、まるで日本人のように馴染んでしまうときがあるけれども、この感覚を「世界感性」とよんではどうか?その感性とは、“外在化され実在化された感性”のことなのです。人間は文化的な差異のもと、互いに理解し合うことは難しいのだけれど、世界が世界感性化するとそうした差異がなくなるんだ。そうして、感性はすでに「世界感性」として実在化してしまっているので、文化的な違いがなくなってしまう。そうなると、「他の文化とわたしは違いますよ」と、個性化を確認するのは、文化的な感性ではなく、もっともっとパーソナルな価値判断になるんじゃなかろうか。「世界感性」と対になるような、もっと個人的な感性。「個人感性」っつったら芸がないから、なんか違う言葉で表現しよう。「凍ったコーラを飲み干すのには困難が伴う感性」と表現しよう。


そうして、ジャパンツアーではいろんなパフォーマンスをするんだ。
基本はひとりで世界平和を訴えながらの行進で、いろんな好きなうたを鼻歌で歌うの。で。辛くなったら最寄りのコンビニに入って週刊誌を立ち読みするんだ。だって、週刊誌を立ち読みすれば、ゴシップ記事に気分を紛らわすことができて、頽落して世人になれるのだもの。にんげんだもの。どろどろどっくんだもの。そうして、ツアー中は行進中にすれ違うさまざまな人間に挨拶するんだ。鼻歌を歌いながら突然大きな声を出して「おはようございます」とか「こんにちは」とか「こんばんわ」とか「ごきげんよう」とかいいだしたら、普通のバカだとおもわれるから、こうした挨拶言葉は心の中で言うことにします。にんげんだもの。そうして、こうしたツアーをするならば、きっと汗をかいて喉も乾くだろうから、凍ったコーラを携帯する必要があるだろう。この場合は、凍ったコーラを飲み干すことに関する困難性はそれほど困難ではないのだ。なぜならば、きっと行進しているうちにコーラは溶け出すだろうから。凍ったものはそのうち溶けるのだ。




そうして!



世界感性と対になる、個性化の根拠である「凍ったコーラを飲み干すのには困難が伴う感性」は、冷蔵庫の扉を半開きにしておくと作れます。冷蔵庫の扉を半開きにしておくと、冷蔵庫は躁状態に突入して、必要以上に中身を冷やそうとするのです。これが、冷蔵庫のもつ冷蔵庫性というものなのです。この冷蔵庫のもつ冷蔵庫性を利用して凍ったコーラを作り出すことができれば、きっと辛い、不幸なジャパンツアーもやりとげることができるのです。

ああよかった。



でも、Twitterで、治(太宰)から「それは世間が、ゆるさない。 世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」っていわれたからやめた。