過去は自動的に生成される。

『 何かを連想させる「境界」が問題になった^^ 』

・・・。

twitterは140文字で自分の現在を表現するサービスですが、つぶやいているのは人間だけではありません。
botと呼ばれる自動発言プログラムがつぶやいている場合もあります。

最近、poibotというサービスが開始されました。
これは、登録者の過去のツイートを拾って、その人っぽいつぶやきを自動生成するというものです。(http://poibot.jp/

僕も登録してみたのですが、これがなかなかおもしろいです。
過去のツイートのつぎはぎなので、正直文章として成立していないことも多々あるのですが、昔つぶやいたことが現在に蘇ってくるのでけっこうハッとさせられることがあります。

で。

『 何かを連想させる「境界」が問題になった^^ 』

・・・これは、僕のpoibotが10月19日18時42分につぶやいたものです。。。


これも僕の過去のツイートのつぎはぎなんですが、どんな意味があるんだろう?

連想させる「境界」。。。

・・・なんだろう?・・・。


“連想”ってことは、“推論”じゃないと思えます。
“推論”っていうと、前提から厳密に答えを導き出すようなニュアンスがあるから、“連想”とは少し違う気がします。

“類推”のほうが近いのかな?
“類推”なら、出来事から可能性を思い描くようなニュアンスがあるから、より連想に近いといえそうです。

ということは、“連想”って、「意識的で有る無しに関わらず、ある出来事から類推的に思いつくこと。」と表現できそうです。

では。
次に「境界」とはなんだろうか?
「連想させる境界」だから、連想する・しないの境目っていえそうです。
・・・ってことは、ここでは連想が動き出したり動き出さなかったりする、その境目が問題になっているってことなのでしょうか?

そもそも、連想を駆動させるには、それと似たような体験をしている必要があります。
似たような体験をしておかないと類推すること自体ができないわけだし。
ってことは、類推を駆動させる境とは、「過去の地平に埋もれている体験」と表現できそうです。
その出来事と似たような体験のある・なしが、連想を駆動させる境目になっているということです。


さて。
境界がなんであるかだいたいわかったんですが、僕のbotはそれが問題になったと言っています。
「連想させる」ってことは、ちょっと強制力がある表現だから、連想したくなくても連想してしまうような境界が問題になっているってことなんだと思います。

・・・ってことは、botが表現したいことは、「強制的に連想させられてしまうような過去の地平に埋もれている体験が問題になっている」ということなのでしょう。



poibotは「っぽいbot」であり、登録者の過去のツイートをひっくり返して真似っこをしてくれます。

ってことは、僕自身の過去の中に埋もれている体験が問題になっているってことなのだろうか?

・・・僕の中で強制的に連想を駆動させてしまう体験っていったいなんだろう?・・・。