「デスペラード浪漫派」という秘密の秘密結社が僕の脳髄を焼こうとしているという事実に対して僕は何の疑いも抱くべきではない。

ドアを開けたら「むおっ」っとしていたのだ。

だがしかし。
それは「むおっ」っという音が聞こえたわけではないのだ。

だがしかし。
見知らぬ人間が「むおっ」っと叫んでいたわけではないのだ。

だがしかし。
僕という人間が「むおっ」っと叫んだわけではないのだ。

だがしかし。
僕の耳元であるはずのない「むおっ」っという声が聞こえてきたわけではないのだ。

だがしかし。

「むおっ」なのだ。



それは空気感なのだ。
空気感が「むおっ」っといっているのだ。
いや。
正しくはそのような空気感に対して、僕自身が「むおっ」っという意味を付与しているのだ。



だがしかし。。。

悟性がない。。。




近所にコンビニエンスストアがあります。

僕はそのコンビニをよく利用するのです。

そして、それは頻繁に起こります。

そのコンビニでカップラーメンとビールを買ったときです。
コンビニの店員は「分けますか?」と聞くのです。。。
または、そのコンビニでつまみとビールを買ったときです。
コンビニの店員は「分けますか?」と聞くのです。。。

僕はそのコンビニをよく利用するのです。
毎回・・・「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれるのです。
僕はポイントカードを持っていないので「ありません。」と答えます。

一日に何回か利用するときもあって、同じ日に同じ店員にレジを売ってもらうときがあります。
その時も「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれるのです。
僕はポイントカードを持っていないので「ありません。」と答えます。

・・・「ありません。」と答えると、大抵「失礼しました」と言ってくれるのですが、最近ではそれもなく、「ポイントカードはお持ちですか?」と聞きっぱなしです。。。


「むおっ」っとしている。。。


もちろん・・・「むおっ」っという音が聞こえたわけではなく、見知らぬ人間が「むおっ」っと叫んでいたわけでもなく、僕という人間が「むおっ」っと叫んだわけでもなく、僕の耳元であるはずのない「むおっ」っという声が聞こえてきたわけでもなく・・・。

僕と店員との間の空気感が「むおっ」っとしているのだ。。。

いや。
正しくはそのような空気感に対して、僕自身が「むおっ」っという意味を付与しているのだ。

いや。
もっと正しくは、僕はそのような空気感に対して、僕自身が「むおっ」っという意味を付与せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのだ。


そして、この「むおっ」っという意味付与は、父性に関係しています。


僕は社会のことには疎いのですが、風の噂を信じるならば、どうやら社会には父性が不在の様子です。
この場合の父性とは、リーダーシップをとったり、悪いことをした子をしかりつけるような、そんな感じの父性のようです・・・あくまで風の噂なんですがw

では。
そうしたイメージの父性にはどんな特徴があるのか考えてみると、そこには「考える」という特徴があるように思えます。

では。
なんで「考える」が父性の特徴であるのか、「考える」について考えてみたいと思います。

「考える」っていうのは、ちょっと意識的な判断です。
お酒を飲んでぼけーっとしている人は、あんまり考えていませんw
お酒を飲んでぼけーっとしている人はご陽気であったりするから、それは感性的な状態といえるかもしれません。

例えば、お花がいっぱい咲いています。
僕はそのいっぱい咲いているお花を見て、「うわー。お花がいっぱい咲いているなー」と思います・・・きっとそう思うと思いますw
ぱっと見で“いっぱい”だって思うのは、感性的といえそうです。
で。
このいっぱい咲いているお花を、「お花が一つ、二つ、三つ、四つ・・・」と数えていって、「全部で31943418977189本あるから、お花はいっぱい咲いているのだ」っていったら、それは感性的といえそうはないです。
むしろ、感性的に受け取ったものを、一つ、二つと分断して判断しているので、ちょっと意識的な判断といえそうです。

感性的な出来事を分断して、さらにそこから、「このお花はこんな特徴があるから、群Aと名付けて、こっちは別の特徴があるから群Bと名付けよう」という感じで、分類していくことができそうです。

そして、分断・分類された経験を基に、次にお花に出会ったときは、「こんくらいいっぱいお花が咲いてるってことは、きっと群Aはこれくらいの割合で、群Bはこれくらいの割合じゃないかなぁ?」って推論を立てることができそうです。

・・・とても乱暴な表現ですが・・・許してくださいw・・・とりあえずこの文章の中では、“感性的な出来事を分断・分類して、そこから推論する能力”のことを「考える」ということとしてみましょう。

風の噂の父性イメージは、リーダーシップをとったり、悪いことをした子をしかりつけるような人物でした。
出来事を感性的に受け取っているだけでは、なかなかリーダーシップをとることは出来ないと思います。
出来事を分断して分類して、ある程度推論できなければ判断は付かないわけだし、悪い子をしかるつけるときにも、こうした「考える」能力を使わないと難しいように思えます。


・・・父性が不在だ・・・それは「考える」能力が不在ということだ・・・。


さて。
この父性が不在であるという事実は、「むおっ」っという空気感を醸し出すコンビニの店員さんに象徴されているようです。

このコンビニの店員さんは、出来事を考えていません。
もちろん、いちいち考えていたら疲れちゃうからあんまり考えないほうがいいかもしれないんだけど、分ける商品がないにもかかわらず「分けますか?」って聞くのは、簡単な判断を下すことさえも放棄しているように感じられてなりません。
ポイントカードをもっているかどうか聞くように教育されているのだろうけど、さっき会った人に同じ質問を繰り返し聞くのはどうなんだろう?


・・・まぁ・・・いいや・・・なんか眠いしw


「むおっ」っという空気感をどうすれば解消できるのか?



エアコンをつける。

以上。