靴紐はほどけているのだろうか?
道端で、靴紐を結んでいます。
道端で、黙って靴紐を結んでいます。
僕は道端を歩行していたら、なぜだから知らないけれども靴紐がほどけだしてきてしまい、そして靴紐は見事に解けたのです。
そうして、解けた靴紐のまま道端の歩行を続けるのなら、それは靴紐がほどけたほうの靴を靴紐がほどけていないほうの靴で踏みつけてしまい、そのまま道端に突っ伏して、足首か、大腿骨か、そうしたところに備わっている骨をくじいてしまう可能性があるのです。
そうして、解けた靴紐のまま道端の歩行を続けるのなら、それは靴紐がほどけたほうの靴を靴紐がほどけていないほうの靴で踏みつけてしまい、そのまま道端に突っ伏して、足首か、大腿骨か、そうしたところに備わっている骨をくじいてしまう可能性があるのです。
そうした可能性があるから、僕は他人の目をすり抜けながら、道端にしゃがみこんでほどけた靴紐を結びなおさなければならなかったのです。
そうしたときには、「なんか手がべとべとする。なんか手がべとべとする」と。
だがしかし、僕がはいている靴はまた、いついかなるときになるかもしれないけれども、また再び靴紐がほどけるときもあるだろうけれども、あまりにもほどけることが続くようならば、僕はマジックテープか、もしくは靴の大きさを調整する機構が備わっていない靴に履き替えるべきであろう。
だがそこには、僕の足が成長して大きくなったり、また、僕の足が成長せずに小さくなったときに、どうやって靴の大きさを調整すれば良いのか?という問題が発生するのだけれども、それはそのときに考えることにします。