ハススペース。

蓮のゆえんはLOVE,PEACE&TRANCEの「HASU KRIYA」あたりです。
(※LOVE,PEACE&TRANCEとは、細野晴臣氏の音楽ユニットです。アルバムは一枚だけしか出てないはずです。95年ごろです。世紀末に備えたアルバムです^^)

大学生の頃です。

僕は蓮に対してあんまり宗教的な意味合いは感じないですし、むしろそうした遠い履歴に引きずられた意味付与は括弧に入れてしまっておいて、現在に訪れる意味を大切にしたいなぁと思っています。
ですが、この曲の影響か、僕は蓮に対して諦念とリセットされるイメージを持つようになりました。

浄化なんていう尊大なイメージではないです。

あくまでリセットのイメージです。
マスコミや世の中の頭の良い人が批判しているような、テレビゲームのリセットボタンのイメージです。
都合の良いときにボタンを押して“なかったこと”にしてくれる、あのリセットボタンです。


過去が変えられないなんて大嘘です。


僕たちは現在しか生きることが出来ないので、過去に対する意味は現在の在り様において次々に転変します。
っつーか、僕は幼い頃アトピーで辛くって、ちょっと変わった生活を送ることを余儀なくされていて、それはとても嫌な履歴なのですが、その履歴がなければ日常性や常識性や社会性やその他もろもろの価値観を疑ったりはしなかっただろうし、今の仕事や今の僕はなかっただろうし、現在も少しの不全感はあるとしても、それなりに今後の展望を抱きながら生活できているということは、今の僕の在り様において、僕の過去はそれなりに肯定できるものに変容したことになります。


実際に経験している人がいるから過去は変えられる。


で。

も。

こうした履歴に対する現在からの意味付与を抜きにして、ただ“なかったこと”にしようと鉄の手で心の奥底に埋めちゃおうとしても、それはあんまし良い結果にはならないでしょう。
それは都合の良い合理化ですし、否認と呼ばれるかもしれません。
もっとも、そんなことをしたら衝動の仕返しを食らうことになる。
(こういう衝動って出てくるんです。“どかーん”ってなるw)
ですので、そこにはリセットの感覚とともに諦念の感覚が伴うことになります。
僕はまだまだ未熟なんで、この諦念の感覚をうまく言葉にすることが出来ません。
それは邂逅とか受容とか、“おはよう”とか“こんにちは”みたいな感じです。
もちろん“こんばんは”の感じでもあります。

で。

「HASU KURIYA」の感覚です。




そうしたわけで、僕の車にはハススペースがあります^^

最初は、平沢進の白虎野のライブでもらった蓮のキャンドルを装着させました。


イメージ 1



でも、それは蝋で出来たものなので、暑くなったら溶けちゃいましたw

まぁ、それはそれで良しとして、次に装着させたのは蓮のクレイモアです。


イメージ 2



これは溶けませんw
長いこと装着していて、これを眺めるのはそれなりに快適だったのですが、今回ネットで蓮クリスタルを発見しました^^
前回の記事(http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/55606557.html)で書いた例のアレです。
決してカルト雑誌の広告によく出ている開運グッズなんかじゃないです。
蓮グッズ専門店で売ってる、眺めて普通に綺麗なオブジェです。

で。

今日。

蓮クリスタルが届いたんで、早速取り付けてみました。

イメージ 3


・・・なかなか快適です^^

なんかちょっとパフォーマンスっぽいですw

で。

今後の計画なんですが、蓮クリスタルだけだとバランスが悪いんで、魔術系のオブジェかステッカーか、できれば印章みたいなのを装着したいです。
現在ネットで探し中です。

どっかに魔術専門店ないかなー^^