辺獄の数。

27を2倍すると54であり、108を2で割ると54です。

54は中間の数字であり、天国と地獄の中間は辺獄です。

辺獄は忘れさられた無用な人や物の捨てられる場所でもあり、LIMBOは54です。(元ネタは平沢進

辺獄の数である54を二倍すると108になり、108とは人間の中にある煩悩の数の総数になります。

そして、108から2を引くと106になり、106とは「障害程度区分認定調査項目」の総項目数になります。

108は煩悩の数であり、106は「障害程度区分認定調査項目」の総項目数であるわけですが、108と106の間にある“2”の隔たりとはなんだろうか?

“2”の謎は解かなくてもいいけれど、解いたほうがいいと思うので、解いてみます。




煩悩は欲望とか執着とか怒りとか妬みとか、そういうものです。
そうしたものには特徴があります。
それは、思い描かれた世界の見方であるという特徴です。
僕の目の前には「Lark SUPER MENTHOL」というタバコがありますが、数年前までは欲望の対象にはなりませんでした。
それは、嫌な匂いと煙りのでる不快なものでしかありませんでした。
でも、今の僕には少し違っていて、一息つくときの大切なアイテムです。
仕事が終わってコーヒーを飲みながら吸うタバコは格別であり、まさしく欲望の対象です。
(今もドトールでコーヒーを飲み、タバコを吸いながら文章を書いています^^)
執着とか怒りとか妬みとかにも同じような特徴が見られます。
つまり、そのもののおかれている状況によって、煩悩は煩悩と呼べたり呼べなかったりするという特徴であり、それは、人は世界に意味を投げ掛けて、意味を付与された世界像の中を生きているということを表しています。

108は煩悩の数であり、煩悩は“彩られた世界像”といえそうです。



そういうものから、二つ少なくなると「障害程度区分認定調査項目」の総項目数になる。



「障害程度区分認定調査項目」とは、精神障害者の障害の程度によって区分が決められ、その決められた区分によって、利用できる福祉サービスが定まります。
つまり、106の質問をすることで、そのものの障害の程度が客観的な類型化を被るわけです。
何が適切なサービスかは、類型化によって規定されます。
類型化で退けられるのは、そのもののもつ特殊性です。
個人的な生活史や家族史が退けられ、目に見えて数量化できるような症状や医療行為のみが取り出されます。

106は「障害程度区分認定調査項目」の総項目数であり、106の質問で取り出されるのは“特殊性を取り除かれた類型”といえそうです。

さて。

以上の反省によって、108と106の持つ意味がおぼろげながら見えてきました。

では。

考えるべきは。

“彩られた世界像”と“特殊性を取り除かれた類型”とを分け隔てている、決定的な二つの契機とは何か?ということです。

“彩られた世界像”は、その人その人の置かれている立場や状況によって違ってきます。
それぞれによって違うということは、“彩られた世界像”とは特殊性をもっています。

“彩られた世界像”は既に特殊性という意味を持っているので、108と106の間を取り持つキー概念は“特殊性”といえそうです。

では。

特殊性とはどのような特徴があるのでしょうか?

特殊性の特徴を掴むことで、“2”の謎に接近できそうです。


・・・ここまで書いてきて疲れたんで、続きは次に書きます。。。w