Mega-Driver。
ドライブ。
の。
イメージ。
が。
・・・あります。。。
サバイブとは少しだけ違います。
もちろん、それも現実に対処するための大切な方法の一つですが、そうではなく、ドライブしていくイメージです。。。
この連休は、結局実家に帰りましたw
家を出たのは8日の深夜です。
高速道路は空いています。
道路は前方に延びています。
光景は次々と僕に訪れ、その都度流れ去っていきます。
訪れる光景は、ほとんど現在に留まりません。
そのつど現在は更新され、僕の現在は、これから訪れるであろう予兆的な予期で充満することになります。
僕はこの高速道路を何回も通ったことがあるので、次にどんな光景が訪れるのかは大体予測がつきます。
僕の投げ掛ける光景の予期は、次々と現在に訪れる実際の光景によって満たされていきます。
光景の予期が満たされると、それなりに気分が良いです^^
それが連続的に満たされていくと、結構気分が良いです^^
ハイウェイ・ヒプノスシスとかいって、長距離ドライブ中に幻覚を見ることがあるそうですが、それって、投げ掛ける予期と、その予期の充実という恍惚感が連続的に訪れるから、ありえない妄想的な幻覚とかも見えちゃうんじゃないでしょうか?
高速道路の走行には、現在が予期と予期の充実による恍惚感で満たされてしまうという特徴があるのかも知れません。。。
セガの体感ゲームには思い入れがあります^^
アウトランやアフターバーナー、スペースハリアーやギャラクシーフォースなどは、プレイするだけで特別なゲームをやっているようなデラックスな感じを味わえて、大好きでした。
で。
基本的にこれらのゲームは前に進みますw
ひたすらひたすら、ただもくもくと、前進します。
止まれません。
止まるとゲームオーバーです。
どんどんどんどん前に進んで行くだけなんですが、それでも楽しめたのは、上で述べたような高速道路的恍惚感があったからなのかも知れません。
ゲームの中でも、僕は次にくる光景を予期して投げ掛け、その予期が充実されるとうれしい・・・みたいな感じで。
さて。
ドライブ。
の。
イメージ。
が。
・・・あります。。。
それは、現実に対する対処技能の一つとしての、ドライブのイメージです。
現在はランダムです。
こちらが望もうと望まざると、次々と光景は襲い掛かってきます。
実家に帰る高速道路は何回も通ったことがあるから、その予期は立てやすいし、予期が充実される恍惚感を味わいやすいけど、現実はそうはいきません。
類推しても簡単にうらぎられちゃう。
予期は満たされず、絶望に陥ってしまうこともよくあります。
もちろん、現実とがっぷり四つに組んで、白黒勝敗をつけるのも一つの道でしょうが、別の方法として、ランダムに訪れる現実を巧に回避しながら前に進んでいく、体感ゲーム的なドライブのイメージもアリなんじゃないでしょうか?
8日の深夜は、実家を目指しながら、こうした事を考えていました。
僕はスマートに乗って高速道路をドライブをして、そのドライブをするイメージは現実をするりするりと回避しながら前に進む、体感ゲームのような対処技能的なイメージと重なります。
こんなふうに観念の世界が体系化されだすと、それにともなって僕の自我も肥大していきます。
観念の体系と一体になって、なんでもできる気分になってくる。
スマートと一緒に、どこにでも進んで行けそうな気分になってくる。
あぶい。
あぶい。
多分、今僕がすることは、この若干観念の世界に舞い上がっている僕の自我を、現実世界に押し止めることです。
つまり、テンションあがんないように、セーブしないとならないってことです。
あ。
でも。
明日仕事だと思ったら、自然とテンション下がってきたwww
まぁ。
いいや。
仕事に対する回避的な状態も、僕の肥大しかかっている自我の状態を押さえ付けてくれるのなら、うまい形で現実と観念のバランスが取れているってことでしょう。
さて。
風呂入って寝ます^^
の。
イメージ。
が。
・・・あります。。。
サバイブとは少しだけ違います。
もちろん、それも現実に対処するための大切な方法の一つですが、そうではなく、ドライブしていくイメージです。。。
この連休は、結局実家に帰りましたw
家を出たのは8日の深夜です。
高速道路は空いています。
道路は前方に延びています。
光景は次々と僕に訪れ、その都度流れ去っていきます。
訪れる光景は、ほとんど現在に留まりません。
そのつど現在は更新され、僕の現在は、これから訪れるであろう予兆的な予期で充満することになります。
僕はこの高速道路を何回も通ったことがあるので、次にどんな光景が訪れるのかは大体予測がつきます。
僕の投げ掛ける光景の予期は、次々と現在に訪れる実際の光景によって満たされていきます。
光景の予期が満たされると、それなりに気分が良いです^^
それが連続的に満たされていくと、結構気分が良いです^^
ハイウェイ・ヒプノスシスとかいって、長距離ドライブ中に幻覚を見ることがあるそうですが、それって、投げ掛ける予期と、その予期の充実という恍惚感が連続的に訪れるから、ありえない妄想的な幻覚とかも見えちゃうんじゃないでしょうか?
高速道路の走行には、現在が予期と予期の充実による恍惚感で満たされてしまうという特徴があるのかも知れません。。。
セガの体感ゲームには思い入れがあります^^
アウトランやアフターバーナー、スペースハリアーやギャラクシーフォースなどは、プレイするだけで特別なゲームをやっているようなデラックスな感じを味わえて、大好きでした。
で。
基本的にこれらのゲームは前に進みますw
ひたすらひたすら、ただもくもくと、前進します。
止まれません。
止まるとゲームオーバーです。
どんどんどんどん前に進んで行くだけなんですが、それでも楽しめたのは、上で述べたような高速道路的恍惚感があったからなのかも知れません。
ゲームの中でも、僕は次にくる光景を予期して投げ掛け、その予期が充実されるとうれしい・・・みたいな感じで。
さて。
ドライブ。
の。
イメージ。
が。
・・・あります。。。
それは、現実に対する対処技能の一つとしての、ドライブのイメージです。
現在はランダムです。
こちらが望もうと望まざると、次々と光景は襲い掛かってきます。
実家に帰る高速道路は何回も通ったことがあるから、その予期は立てやすいし、予期が充実される恍惚感を味わいやすいけど、現実はそうはいきません。
類推しても簡単にうらぎられちゃう。
予期は満たされず、絶望に陥ってしまうこともよくあります。
もちろん、現実とがっぷり四つに組んで、白黒勝敗をつけるのも一つの道でしょうが、別の方法として、ランダムに訪れる現実を巧に回避しながら前に進んでいく、体感ゲーム的なドライブのイメージもアリなんじゃないでしょうか?
8日の深夜は、実家を目指しながら、こうした事を考えていました。
僕はスマートに乗って高速道路をドライブをして、そのドライブをするイメージは現実をするりするりと回避しながら前に進む、体感ゲームのような対処技能的なイメージと重なります。
こんなふうに観念の世界が体系化されだすと、それにともなって僕の自我も肥大していきます。
観念の体系と一体になって、なんでもできる気分になってくる。
スマートと一緒に、どこにでも進んで行けそうな気分になってくる。
あぶい。
あぶい。
多分、今僕がすることは、この若干観念の世界に舞い上がっている僕の自我を、現実世界に押し止めることです。
つまり、テンションあがんないように、セーブしないとならないってことです。
あ。
でも。
明日仕事だと思ったら、自然とテンション下がってきたwww
まぁ。
いいや。
仕事に対する回避的な状態も、僕の肥大しかかっている自我の状態を押さえ付けてくれるのなら、うまい形で現実と観念のバランスが取れているってことでしょう。
さて。
風呂入って寝ます^^