これでいいのか?

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これでいいのだろうか?
僕はこれでいいのだろうか?

なんというか、たぶん、“これでいいのだ”と自分で自分を肯定しないとやってられないってのはわかるが、ちょっとゆらいでしまうときがある。

自分の中で、自分の行動を信じられなくなってしまうときがある。

たいていそういうときって、単なる自分の不健康な思いこみに過ぎなかったりするし、周りの人からみると、“そんなことで悩むなよ”って言いたくなるような出来事でしかないんだろうが、本人にとってはそうはいかない感じがしたりします。

で。

ここ最近、自分の中でゆらいでいますwww
判断がおぼつかなくなっている。
それは単純に、うつ状態だってことなんだろう。

で。

自己反省的に自分のことを見つめてみると、形式がどこかに行っちゃっているってのがわかります。

現実を把握したり、現実に働きかけるための形式が薄くなってしまっている。

頭の中にもやがかかっている感じ?

たとえば、何かの出来事があって、それを受け取る(了解する)ためには、自分の中である程度の形式がクッションとして間に入っていることがわかります。
その形式は文化的なものであったり習慣的なものであったりします。
仕事の中では、仕事場のルールであったり、よって立つ学問的な基盤であったりします。
どちらにしろ、現実に起こった出来事を適切に把握したり、こちらから現実に働きかけをするためには、自分の中で形式を構えとして持つことが必要になってくると思います。

で。

この形式が現実からつかみとられたものであるのなら、その現実に対する了解や働きかけは適切なものになるでしょう。
私と世界の間に形式性という適切な道が開かれているということです。

しかし、この形式がねじ曲がってしまったり、薄くなってしまったりして、現実からつかみとられた形式というより、単なる信念、しかも現実に何の根拠も持たない不健康な信念に陥ってしまうと、ちょっとうまくいきません。
現実に起こった出来事を被害妄想的に受け取ったり、こちらの思いをうまく人に伝えることができなくなってしまう。

で。

なんだか最近そんな感じですw

形式がゆらいでる。

さて、どうすればいいのだろうか?

可能的対処技能。
,酒をたらふく飲んでみる。
共通了解になっている形式(たいてい学問みたいな客観的なもの)を身につける。

僕はまだまだ未熟だから,領呂鮠しだけ借りながら、△鬚靴討澆泙后

そうした感じで、若干うつ状態なんですが、それは必要なうつなんです。。。