コズミック・ホラー。

疲れたw

・・・仕事ではあんまり疲れてないんです。。。

それなりに力を抜いたり、休憩取ったり、調整しながらやってるんですけど、仕事終わった後が大変なんですw

今、本を読んでます。
これは5年前に買った本です。
現象学関係の本です。
でも、その当時は読んでみたはいいけど、よくわかんなかったんです。
“そんなもんすかねぇ”見たいな感じで、なんとなくわかんないでもないって感じなんですが、本当はよくわからなかったんです。

で、この5年間、右往左往ともろもろの本を読んで、精神の業界に出て、いろいろ経験して、やっと、この5年前に買った本が言いたかったことが、なんとなくわかりました。

・・・多分、他人の表現を完璧に理解できるなんて出来ないだろうし、そこには常に“~だろう”っていう疑い深さが付きまとっているんだと思いますが、それでも、5年前に読んだときよりは、なんていうか腑に落ちる感じがするんです。

で、この一週間は、仕事が終わったら近所のドトール(ガソリンスタンドに併設されてるヤツで、24時間やってるところ)に入り浸って、夜1時近くまで本を読んでいました。

な。

ので。

翌日の仕事に影響でまくりです(爆)

もう、毎日ねむいねむい^^;

昼間はそれなりに気合を入れてるからいいんですけど、もう、夕方になったらへろへろです。

で。

へろへろになってわかったんですが、疲れてくると、人は超越に立とうとするみたいです。

多分、疲れたり、不安を感じたり、恐怖を感じたり、手に負えない未知なものに対する焦燥感みたいなものにかられると、そうした事柄の超越にたって、その事柄を自分の理解の名の下に飼いならそうとするみたいです。

・・・この事態を、仮に“コズミック・ホラー的焦燥感。”と呼んででみます。。。(もちろん、この表現の元ネタはラヴクラフト^^)

で。

ここで表現したい超越ってのかは客観的な立場のことで、僕たちの中に既に共通の了解になっている、客観科学的な立場であったり、日常性や常識性といったルールの網の目のことです。

“コズミック・ホラー的焦燥感。”を感じると、その人を分類して判断できる特権的な立場に立って、その人を超越的に規定しようと試みてしまう。

ちょっと乱暴な表現かもしれませんが、僕たちの仕事は、その人と一緒に考えることです。
安易に断定的な価値評価を見つけ出さず、その人と共に右往左往します。
もちろんそこでは、こちらに専門職としての“構え”みたいな態度を維持しなければ巻き込まれてしまうのですが、そうした“構え”を維持しながら、如何に上手に右往左往できるかが肝だったりします。

その人と共に考える性質、つまり“共考性”見たいな態度が基礎になります。

でも、疲れてきちゃって、“コズミックホラー的焦燥感。”にとらわれると、もう体力的に共考性を維持するのがつらくなってきちゃうんですw

で、そうした状態で面談したりすると、安易な医学的精神医学的心理学的社会学的な超越的判断が首をもたげてきて、お気楽な予定調和的な決断を下したくなってしまいます。

つまり僕は、その面談場面を、“自分に理解できるもの”と超越の元に押しとどめて、逃げ出したくなってるんです。

そうなふうに面談を終了させると、たとえそのときは笑顔で終わったとしても、相手は満足してくれませんw
問題の本質からはずいぶんずれてしまって、あとあと不満を漏らされることが多々あります。

で、今週はそんな感じで、疲れと共に“コズミックホラー的焦燥感。”にとらわれて、仕事もおろそかになりがちでした。


これじゃだめだ(爆)


・・・とりあえず、「夜更かしはほどほどに」という教訓を得ることが出来ました・・・^^