礼儀作法。

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分別とか礼儀作法とか、そうした、他者と接するときの態度は大切なんだろうなぁって、あらためて思いました。

単に、社会的な礼儀作法とか、善悪の分別ってことじゃなくって、“間”とか“空気感”とか“距離感”に対する態度です。

いま、“KY”って言葉があるようだけど、そういうのって、“間”に対する礼儀作法みたいなのが足りないってことなんだろうなぁ。

で、うちの病院にも若い子が入院しているんだけど、礼儀正しく接すると喜ぶんです。
つまり、一人の社会生活を行う人として、一介の人として接すると、変な暴力性とか問題行動みたいなのが低くなるんです。
たぶん、実存として接するってことはこういうことなんだろうなぁ。
自分で考えて自分で判断を下すことができる人間として接するってことなんだろう。

で、僕は思うんですが、主義や主張や思想の虜になってる人たちはの中には、KYな人が結構いるみたいなんです。
空気読めないのw
実存として接することをあまりしないんです。
自分の持っている世界のうちに相手を取り込んだり、相手を規定さそうとする。
だから、まぁ、困ったちゃんになっちゃうわけなんですが。。。

治療者を気取る人の中には、こうした感じの人、簡単にいうと、“えらそうな予定調和的な人物”ってのがいて、困る。
“自分が治してやる”みたいな感じでw
この場合、主義や主張や思想とともに、客観科学の虜になってるw

・・・そんなやつに悩みなんか打ち明けたくないんすけど。。。

だから、まだまだ未熟な僕は、お気楽な倫理観や道徳観に支配されないように自分を戒めないとならないわけです。

難しいんですけど、社会的な形式的な態度と、雰囲気に触れるときの礼儀作法は、注意してその違いを把握しといたほうがいいんだろうなぁとか思います。
どっちが正しいってわけじゃないんですが、うまく両方使いこなさないと、なんか不自然に堅苦しい人間になっちゃいそう。


・・・・と、夢のアーティスト、Hジャングルの「ゴーイングゴーイング・ホーム」を聴きながらだらだらとだらだらとぐだぐだと。。。考えながら・・・次の曲は「フレンドシップ」だ。。。あぶい。

写真は、元気の源、「アリナミンA」です^^