カモフラージュ。

YMOのアルバム「BGM」に入っている「CAMOUFLAGE」を聞いてみる。

今日は、「CAMOUFLAGE」のどんよりとした雰囲気がぴったりくる一日でした。

仕事上、いろんな価値観に敏感にならないといけないわけですが、いろんな価値観を括弧に入れてしまっておくと、いったい、現実はどこにあるのかわからなくなっちゃいます。

形式と内実であったり、外延と内包であったり、超越と内在であったり、事実と意味であったり、そうした違いに敏感であろうとすると、現実が対概念の中に解体されて、なんだかよくわからなくなります。

例えば、社会的に美徳とされている“~のために”という行為が、暴力になっているような場面に遭遇したときがそうです。

社会的ななかで既に出来上がっている価値観としては、“~のために”という行為は確かに美徳です。
しかし、この行為が形式化されて、その内実が失われてしまったときに、現実の逆転現象が起こってしまうと感じます。
つまり、形式に内実が押しとどめられてしまうというようなニュアンスです。
論理学とかで使われる外延と内包という表現を使っても、ある程度言い当てられるかもしれません。
数量的な広がりである外延に、その意味内容である内包が押しつぶされちゃってる感じです。

愛情に押し殺されそうになっている人とか、ものごとに善悪をつけることに躍起になって、おもうように生きれなくなってしまっている人に出会うと、こうした対概念が分離してしまって葛藤しているように感じます。

現実は、そんなに定立化していません。

現実は、「BGM」の「CAMOUFLAGE」のもつどんよりとした雰囲気みたいに、それぞれの対概念が分離せず癒合して、混濁しています。

歌詞の中にある、“偽装の中で解放される”って感じです。

白黒つけることの中で解放されるというよりは、混濁の中で解放されるって感じです。

なんだか、もうつかれて、文章の統合も保たれなくなってしまっているんですが、そんな感じで、今日は疲れました。

風呂入って寝ます。



・・・あ・・・youtubeうろうろしてたら、初音ミクがカバーする「CAMOUFLAGE」を発見しました^^
これはこれで良いんですが、なんでこんなに深くリバーブをかけるんだろう?
他の曲にしても、リバーブやディレイが深すぎて、まるで60年代の歌謡曲を聴いているような感じになります。。。