雪D2。

今月は、当直業務が多いです。

昨日も当直でした。。。疲れたw
で、朝、職場を出てみると、また雪です。

当直明けて雪が振ってて、なんだか気分的にお湯につかりたかったんで、銭湯に行ってみたんです。

・・・雪って良いですよね^^
雪には“超越論的雪効果性”とでも呼べそうな、“雪効果”がありそうです。

露天風呂に入りながら雪を見ていると、いつもの小汚い銭湯も、不思議と違って見えてきます。

いつもの小汚く、平日550円でもぼったくりじゃないのか?って感じで、企業努力としてワードで作ってラミネートされたポスターがほほえましく、最近炭酸風呂を始めたんだけど、果たしてそれがうけているのか?いないのか?ビミョーな感じで、入り口の掲示板に張ってある、「新しく出来た炭酸風呂についてのお客様の感想」の内容に、“泡が出ている”ってものがあって、“いやいや、それじゃ感想じゃなくって、単なる状況説明だから。。。w”って突っ込みを入れたくなるような銭湯だとしても、雪が降ってきて眺めが変わると、なにか特別なところに来たような、そんな感じで現実感が変容して捉えられます。

・・・お酒を飲まなくても現実体験を変容できるなんて、雪の雪効果はすごい。。。タダだしw

で、雪を見ていると思い出すのが、セガの夢のゲームマシン、“ドリームキャスト”のソフト、「Dの食卓2」です。

このゲーム、舞台は雪山です。
主人公の乗った飛行機が雪山に墜落して、目覚めたロッジからストーリーが開始されます。
で、このゲームのストーリー自身、作者の作家性が強く出ているので、ちょっと他者を寄せ付けないようなあくの強いものになっています。
人類の生き死にや、人類が世界に対してもっている(もしくは投げかけている、与えている)“意味”そのものに疑問を投げかけていくような内容なので、プレイしていて、不愉快になったり、気分が悪くなったりします。

スプラッターやホラーとして気分が悪くなるんじゃなくって、実存のループにはまっていく時に感じるような居心地の悪さです。

で、ゲームやっててこうした居心地の悪さを感じたのは初めてだから、このゲームは今でもお気に入りのゲームです。

・・・ただし。。。演出が・・・・いまいち・・・稚拙w

なんつーか、思わず顔を赤らめてしまうような台詞や演技が延々と続くので、エンディングにたどり着くためには、こうした演出に耐え抜く寛容な精神が必要です。

物語のキーになる“グレートマザー”ってキャラクターが出てくるんですが、このキャラクターの登場時の台詞が一番腰砕けで、「私はグレートマザー」って自己紹介しながら登場するんです。。。
なんつーか、グレートマザーが自分のことをグレートマザーっていうのは違和感あります。
“その言葉でしか表されない地母神的な偉大な何か”って感じで、象徴的なニュアンスでグレートマザーって表現はありだと思うんですが、自分で自分のことをグレートマザーって言っちゃうっていうのは、なんだかおこがましすぎる気がして、聞いててこそばゆくなってしまいます。

さらに、表現の仕方自体、サブカルチャーのコラージュみたいなんです。
サンプリング&ホールドっていうか、写真を切り貼りしてつくるコラージュアートみたいなやり方で表現します。
この半世紀の間、人類に起こった映画や小説や音楽などのサブカルチャーを、集めてきて構築したような表現の仕方をするんです。

それはそれでありだと思うんですが、“コラージュとしての表現”として捉え方をこちら側がもっていないと、“単なるパクリじゃん!”って批判されてもしょうがないような感じなんです。

そんな感じで、作家性がとても強すぎて、なんだか不恰好な感じになっているソフトなんですが、その不恰好な感じが表現として成立している感じがして、今でもお気に入りです。

で、なにより良いのは、音楽です。
テーマ曲が良いんです。
この世の終わりに聞いていたいっていうか、そんな感じの曲です。
このテーマ曲は、とても個人的な感じがします。
メロディーがナルチシズムで溢れているんで、自分のことしか考えずに編み出したような、そんなわがままな音楽です。
この曲を聴いていると、聞き手も、自分だけの世界に浸れます。
この曲は、世界との距離をとらせてくれる。

銭湯からの帰り道は、車の中でこの曲を聴きながら運転してました。

あと、D2っていえば、坂本龍一の「COMICA」ってアルバムのかにも“D2”ってタイトルの曲がありました。

この曲も、なんだかよくわからない曲で、良いです。

そんな感じで、明日も仕事なんで、もう寝ます。