観光名所:孤独感。

・・・考えると独りになる。

人生哲学や宗教哲学じゃなくって、認識論とか存在論とかの哲学には、よく、哲学やると孤独になるって書いてあるけど、それってけっこう本当のことかもしれない。

なんか、理念視の方法とか、構造を取り出す方法を鍛えていくと、生きている現実が“普通”からズレてっちゃうんです。

で、最初のうちは、僕が見ている現実を“普通”の人に伝えようと躍起になるんだけど、最近、伝わらないことがわかってきました。

多分、この、“伝えたくても伝わらない感覚”ってのが、哲学やってる人が陥る孤独感なのかも知れない。

主義や主張や思想をやってる人は、こうした孤独感に苛まれることはないでしょう。
そうじゃなくって、現実の成り立ちを探ることを余儀なくされた人たちは、その構造を目の前にして、孤独感に悩みます。

・・・たとえば、現実の構造とか、成り立ち方とか、そうしたことって、“なんで現実は成立しているんだろう?”って、体験的に疑問を持ったことがないと、問題にも成り得ない。

だから、“普通”の人は考えなくてもいい学問なんです。


新年早々、人には伝えようがないっていう現実にぶち当たって、右往左往していました。


さて、どうしよう?


確か、ガンジーは、“絶望しても大丈夫。私たちには歴史が味方についている。”って感じのことを言ってたはずです。(うろ覚えだから違うかもw)

哲学史を振り返れば、孤独感に苛まれながらも言葉を紡ぐことをやめなかった人たちはたくさんいるし、そうした人たちが真摯に記述している不安感や孤独感や絶望感に触れたときは“あーよかった^^仲間がいた!”みたいな感じでほっとします^^

だから、この数日年明け早々ぐったりしてたんですが、それも人類史を振り返れば良くあることだし、なんだか大丈夫だw

ヨグ=ソトースもナイアル・ラトホテップもクトゥルーもハスターもタゴンもいることだし、彼らに比べたら人類なんて、まして僕なんてちっぽけなものだし^^

そう思うとちょっと安心します。

あーよかった。