形式化の呪文。

もう年末だし、わずかながらもボーナスが出たことなので、今、ポリマーをかけているところです。


これは、車に対する礼儀作法みたいなものです。


現実は事実と意味が混濁していて、意味内容を欠いた形式的な事実の世界と、雰囲気や感じが支配的は意味の世界がごった煮になっています。

そして、それら二つの世界が互いの世界を脅かしつつ距離をとり、相互に浸透しながら受動的に共生しています。


互いが互いを支配的に共生しているようなニュアンス。


・・・形式を欠くと、意味が暴れだして、意味を欠くと、形式は無常になる。。。


鬼とか妖精とか、不条理で超常的な出来事に出会ったとき、人は呪文を唱えます。
形式が不在となり、意味だけとなってしまうと、現実は意味だけの不気味な怪物に変わってしまう。
だから、呪文っていう形式を使って、肥大化した意味を形式の枠内に縛り上げなければなりません。


世界に対する礼儀作法っていうのはそういうことで、世界が意味の群れにまみれて、怪物にならないように形式を使って意味と共生していくということなんです。


で、スマートに対しても、“一年間お疲れ様でした。”と、礼儀正しく接してあげないと、それは形式を失って、意味だけの怪物になってしまう。

なので、年末のこの時期に、きれいに洗車してポリマーをかけてあげるってことは、スマートの持つ意味に対して形式化の呪文をかけて、“ありがとう。”と感謝することです。


・・・形式をつかって接することが、感謝の意であり、礼儀作法でもある、ってニュアンス。。。


こうした、形式を使う礼儀作法って、対人関係の中でも大切なのかもしれません。
不快にな意味の中でこじれまくってしまう人間関係もたくさんあるし、そうしたときは、形式化の呪文が足りないのかもしれません。


もう少しでポリマー終わりそうです。


きれいになったら、また、写真をアップします。