アラザルシュタイ。

イメージ 1

・・・僕たちは・・・やはり・・・“客観的に真である事柄”に対して、名状しがたき恐怖感を抱いているのかもしれません。


その恐怖感は、自分の生活世界から遊離したところに超越している(・・・しかも“真”として超越している)、世界像に対しての無力感なのかもしれない。


・・・H・P・ラブクラフトは、“未知なるものに対する恐怖”を、人間の根源的で強烈な恐怖と表現しています。


ラブクラフトは、人間の持っているちっぽけな客観的な超越世界、すなわち、客観科学的な世界像(イメージ)なんかあずかり知れないところに在る、もっとメタな存在について思い描くことで、人間の持っている“未知なるものに対する恐怖”感を描いています。


で、こうした超越世界に対する恐怖感ってのは、実は、日常の中でいろいろあって、私たちを規定している法や制度は容易に生活世界を脅かすものだから、僕たちは簡単に恐怖感を抱きやすい。


・・・客観科学的な世界像は、私たちが“考える主体”であることを、覆い隠してしまいます。。。


ポストモダンの連中は、超越的な価値観の群れである社会機械に対しては、死をかけた抵抗が必要だと表現して、そのニュアンスをpsyのSとして表しました。
僕も実際、超越的な世界像に対して恐怖感を感じているわけであり、もし、僕がこうした超越的な世界像に対して何らかのアプローチをしようとするのなら、そこにはS的なニュアンスが必要になるのだと思います。


・・・クトゥルーの呼び声は、意外と日常的な恐怖感なのかもしれません。