名状しがたき声。

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・・・声はそもそも形を持たないので、“名状”はできない・
・・んです・・・が・・・まぁ・・・それはそれとしてw


近所に良く行くラーメン屋があります。

結構おいしくって、最近は週に何回か通っています。
で、たぶんバイトだと思うんですが、店員がなかなか良いキャラクターなんです。

大抵、仕事が終わってから行くんで、8時~9時ごろラーメン屋に入るんですが、その時間のホール係は若い兄ちゃんです。
イケメンってわけではないんですが、イケメン的な身なりをしている人で、おそらく小器用にモテるタイプだと思います。
で、大抵、彼が注文をとりに来るんですが、そのしゃべり方がなんともいえないんです。

・・・まるで、若手の劇団員のわざとらしい演技を見ているような、堅苦しいぎこちなさが見て取れるんです。

彼は、ちょっと節をつけて、ちょっと低音で(お笑いの“麒麟”が自己紹介のときにするあの感じでw)、「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしますか?」と問いかけてくるんです。

で、それはそれで、ある程度の違和感を感じるんですが、それは、心地悪い違和感ってよりも、共感できる違和感なんです。

・・・なんていうか、嫌味のない違和感です。

っていうのも、彼は見た感じ若いんです。
おそらく学生さんなんでしょう。
彼の持っている社会的なスキルは、おそらくそんなに高くない・・・と、思います。
“ラーメン屋のホール係”っていう仕事も、それが仕事である以上、それをこなすためにはある程度の形式的な社会性を要求されます。
なので、その業務をこなすため、彼の持っているソーシャルスキルの持ち駒の中で、その場面でできうる限りの最適なものが、“ちょっと節をつけて、ちょっと低音で注文をとる。”という行為になったんだ思います。

こっちにすれば、“そんな堅苦しい喋り方しなくても、フツーに喋りゃーいいじゃんw”とか思うんですが、なかなかそうは行かないみたいです。


僕もそうなんですが、若くって経験が少ないと、すぐに自分の在り方が現実に剥き出しになっちゃいます。
どうでもいいような、自分の仕草や喋り方や行動が、自分の在り方そのものと同一化されてしまう。
僕たちは、礼儀作法とか、形式的な行動とか、いくつものソーシャルスキルを持っているので、それを社会との緩衝材にして、社会をドライブしているわけです。
この緩衝材があるからこそ、自分の感情とか情動とか、人格そのものが社会に露呈しないようにカモフラージュしながら生きることができます。
でも、そうしたソーシャルスキルが未熟な若者たちは、緩衝材が薄いばかりに、自分の仕草や喋り方や行動に、自分の在り方が乗っかってきちゃうわけです。

で、中には、こうしたソーシャルスキルが薄いばかりに、他者に攻撃的になったり、社会を罵ったり、逆恨みをする人もいるんですが、このホール係の良いところは、ちょっとぎこちないスキルだけど、自分のもっている精一杯のソーシャルスキルをつかって、社会を乗り切ろうとしているところです。

だから、僕もまだまだソーシャルスキルが未熟だから、そのホール係に共感を覚えて、“なんか堅苦しいなー。”とか思いながらも、応援したくなっちゃうんです。


で、今日は仕事が休みだったんで、お昼はこのラーメン屋で食べることにしました。

昼間のホール係は、また別の人です。

20代後半か、30代前半か、若くはないんですが、中年というにはまだ早すぎるような年齢のお姉さんが、今日のホール係でした。

で、顔は良く見えなかったんですが、このお姉さんが良い感じなんです。

なんていうか、名状しがたき心地良い声で喋る人なんです。

ちょっとお喋りな感じの人で、厨房の奥からどーでもいい会話が聞こえてくるんですが、心地良いんです。
もっと聞いていたくなる感じの声です。
もちろん、声質が良いってのもあるんですが、それ以上に、喋り方が良いんです。

「もう今年も終わりですよねー。うちにはサンタさんなんて来ませんよ(笑)小さいときは無邪気でよかったなぁー。」

・・・もう、ほんとにどーでも良い、くだらない内容の会話なんですが、話し相手の厨房の人もつられて笑い出して話しちゃってるって感じで、喋り方がうまい人なんです。

おそらく、これもひとつのソーシャルスキルなんだと思います。
“テキトーな内容の会話を、心地良い雰囲気で相手に伝えるためのスキル”って感じのスキルですw
夜に出くわす若者のホール係とはちょっと違った、社会に対する慣れみたいなものが見て取れるんです。
あの若者みたいに堅苦しくない。
自然なんです。

このお姉さんは社会に慣れている。

しかも、相手を気持ちよくさせるようなスキルを取得しています。

ある意味、達人のスキルだと思います。


ラーメンを食べながらそんなことを感じました。