不在のヒーロー。

仮面ライダーカブトのネタバレになるので、ほんの少しだけ注意が必要です。。。


・・・主役の天道総司はかっくいーなーwっていうか、やっぱり、ありえない人ってのがヒーローの条件なのかもしれないなぁ。

で、熱血青年っぽい加賀美っていう相棒?見たいなキャラがいるんだけど、そいつのこと、天道は「友達なんかじゃない」っていうんです。
でもそのことにはちゃんと意味があって、どうやら天道にとっての友達ってのは、“自分で考えて判断を下す人”のことを言うらしいです。
だから、共依存的な関係をさして友達なんて言ってなくって、そうじゃなくって、お互いに自分が何をするか自分で判断していくような“自己規定的な相棒”をさして友達って言っているらしい。

それって結構大事なことで、共依存的な関係をさして友達って言っちゃうと、友達であることに依存しちゃって、その人が自分で考える可能性を奪っちゃったりしちゃうんです。
つまり、友達であるという定立化された価値観による行動が、その人の成長の可能性を取り上げちゃうっていう“確率窃盗罪”を犯しちゃうんです。

実は、共依存的な関係って、友達関係だけでなく、親子関係にもいえます。
この場合、定立化された価値観とは、親子の愛情だったり、保護者の義務だったりします。
つまり、そうした他者をコントロールすることがこなすべき義務だという風に、現実の幅を固定してしまうことで、そのもののランダムな成長の可能性を奪っちゃうんです。

そうはいっても、僕たち人類(・・・人類って言う言葉を使うあたりが誇大妄想っぽくて良いですねw)は世界像の奴隷であるという本質的な仕組みを持っているから、定立化された価値観の元、実際に現実の可能性を奪い取って見なければ、そのランダム性の大切さがわからないのかもしれません。

そうしたわけで、現実は事実と意味が混濁しています。
どよ~んってなってるw
で、どんより感を無視しようとすると、天道は相手を叱り付けます。。。自分で考えるのを忘れて、他人に教えを請おうとすると、怒鳴り散らすんです。。。
う~ん・・・天道はヒーローだw
で、加賀美もそれに気づいて、自分で何をすればいいか見出したりして、天道に向かって「お前は俺の友達なんかじゃない!」って言うんだけど、そのせりふを聞いて、天道はうれしくなって「今度俺の家に来い!飛びっきり上手いものをご馳走してやる!!」っつって、もう、そのせりふを聞いたら泣けちゃって泣けちゃって、それと同時に、この作品を作った監督さんや、このせりふを天道に言わせた脚本家は、なんつーか、こんな体験をしてきたのかなぁって思うと、なんか良いですよね。。。

・・・こないだ、実家に帰って部屋の掃除をしていたら、押入れの中から中学校時代の道徳の教科書とか出てきて、それ読んだら、めちゃめちゃ予定調和的なんです。
なんつーか、「てめーら病人を作り上げようとしてんのか!」っつって、叱り付けたい気分になってくるw
道徳の教科書は、倫理観や道徳観を教え込もうとするが、なぜ、人は倫理的と感じるのか?とか、なぜ、人は道徳的と感じるのか?とか、そうした価値観がどんな風に成り立っているのかとかを、自分で考えることを促さないつくりになっています。。。
その結果、価値観に無反省な人類が大量生産されます。
モードや主義や主張や思想に盲目な、“世界と共依存的な関係にある健全な現代人”が生成されてしまいます。

ここで二つの道がとられます。

つまり、“自分で考えて判断をする人類が本来あるべき人類の姿”と見なす道。
もう一つは、““世界と共依存的な関係にある健全な現代人”が作られること自体、人類の一つの可能的な在り方”と捉える道。。。

・・・ここで価値観に敏感になる必要があります。
この二つの道には大きな違いがあります。
前者の道は価値観を定立化させる道、つまりこの道をとること自体、“世界と共依存的な関係にある健全な現代人”の行動と代わりがないのではないか?
後者の道は、確率を尊重する道。現実の無慈悲なランダム性に対して真摯な態度をとる道です。。。

こんな風に話を展開させても、結局のところ言えるのは、そうした不満だらけの現実も、現実として到来してしまっている以上、そのあり方自体、全可能的世界の中から選び取られた(っていうか無慈悲に到来した)世界の可能的な一様態なのだなぁ、ということのみです。

さて、もし、このような世界に悲嘆して、絶望して、そうした世界を変えようとして能動的な行動を取るのなら、その行為は境界例的な自己表現とあんまし変んないでしょう。。。それは多分、テロのようなニュアンスになるんでしょう。。。
アニメ「逆襲のシャア」の中でシャアが取ったような、“世直し運動”のようなニュアンスです。。。でも、それじゃあはた迷惑な行動でしかない。
リスカして駄々こねてんのとそんなに変んない。。。(リスカって、世界内的自爆テロ?)。。。
もちろん、リスカもアムカも世界に対する対処技能としては在りえるし、理にかなっているとは思うんですが、たぶん、そうした偏った表現以外の道を歩むことも、可能性としてはありえるんじゃないのかなぁって思います。。。それこそ、確率に対して真摯な態度を取るのならw

・・・んで、道徳の教科書が“世界と共依存的な関係にある健全な現代人”を大量生産していて、世界が定立化された価値観によって覆い隠されていたとしても、僕たちにできるまっとうな道ってのは、そうした世界と実際に礼儀正しくお付き合いをするってことなんでしょう。(それが真実の道とか本当の道ってわけじゃないっす。そうじゃなくって、理にかなった自己表現をするのならってこと。。。あくまで、世界に対するひとつの可能的な対処技能ってこと。。。)

んで、天道総司は、世界に対して礼儀正しくお付き合いしている人には、厳しいけれど友情ををもって接してくれます。。。う~ん、天道はありえないけどヒーローだなぁ。