娘アグレッシブ。

今日は遅い昼食を、某回転寿司で食べました。

最初に頼むものはだいたい決まっています。
かんぱち・びんとろ・はまちです。
脂っこいものは最初に食べておこうという魂胆です。
次は、あじ・サーモン・穴子と、さっぱりしたものと濃いものを頼んで、そっからは胃と財布が許す限り食べますw

で、ちょうどはまちを食べ終わってあじを頼もうとしたときです。
一つ隣の席に娘さんが座ってきました。

・・・大抵の店って、店員さんにご案内されますよね?
“お客様何名様ですか?”とか“カウンターでよろしいですか?”とか言った感じで、形式的なやりとりが入るものです。
しかし、その娘さんはまっすぐカウンター席にやってきました。
まぁ、僕も案内されないときはそのまま座っちゃうこともあるんで、きっとこの娘さんも店員さんに案内されなかったんだろうなぁって思って、さほど気にせずあじを注文しました。
すると、その娘さんは席に座るなり、ちょっと演技がかったかわいらしい声で、“チョコレートムース下さい。”と注文しました。


・・・寿司屋で一品目の注文がチョコレートムースって・・・しかもそれってデザートだしw

結構アグレッシブなんですが、“まぁ、ひょっとしたらとても疲れていて、甘いものが食べたかったのかなぁ”って類推して、僕も頼んだあじを食べていると、その娘さんは、回転している寿司をとり食べました。

種類は海老です。

僕は“あぁ、やっぱりそんなにアグレッシブって訳じゃなかったんだ。寿司屋だし寿司を食べるのが当然だ。”と思ってよく見ると、醤油をつけません。

ビミョーなアグレッシブさを感じながらも、“まぁまぁ、世の中にはいろんな嗜好を持った人がいるものだし、きっとこの人は醤油が嫌いなんだろう。いや、ひょっとしたらしたらお寿司って、醤油をつけないで食べた方がネタの味がより味わえて、美味しいのかもしれない。”と、現実に対する違和感を、半ば強引に合理化して解釈して過ごそうとしたんですが、結局この娘さんは、計3品しか食べませんでした。

チョコレートムースと醤油をつけない海老とマグロの3品です。

うーん。。新手の冷やかしなのでしょうか?

で、会計に行き店員さんに向かって、演技がかったかわいらしい声で一言、“オレンジジュースお持ち帰りで下さい。”とのことです。

もうアグレッシブさ全開ですw

僕は“すげーなー。”とか思ってその娘さんをよく見ると、娘さんではありませんでしたw
もう、40代くらいのおばさんだったのですw
演技がかったかわいらしい声だったので、娘さんだと思ってたんですが、ちょっとふくよかなお年を召した方だったのですw

・・・別に問題はないんです。。。人それぞれですし、中にはこういう人もいるでしょう。

でも、なんつーか、すげーアグレッシブです。

そして、ふと自分の日常を振り返り、「自分はこれまで寿司屋に対する常識性や、寿司屋に対する倫理観や、寿司屋に対する道徳観にとらわれていたのかもしれない。ときにはこの娘さんの擬態の方のように、アグレッシブに価値観を壊していくことが大切なのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。そもそもポストモダンの連中は、ダス・コンストラクションの技法を使って価値観を解体して、認識の根底にはただ差異が戯れていること見いだしていたのではないか。それなのに僕は、寿司屋に対する日常性にとらわれてしまい、寿司屋に入ってチョコレートムースをはじめに注文するという可能性を殺してしまっていた。これでは僕は、他人に幸福を強制する善意の保護者たちと一緒だ。あぁ、これではいけない。寿司屋で最初にチョコレートムースは十分可能的であり、娘さんは娘さんではなく、実は40過ぎのおばさんであり、日常性と思っていたものは、実は日常ではなかったのだ。“寿司屋に入ったら最初にチョコレートムース”。このことは大事に胸にしまって、明日から笑顔で元気良く、そして若干の諦念感を感じつつも、力強く生きていこう。そうすればきっと、もう死んでしまったおばあちゃんや、くだらない出来事でケンカ別れしてしまった友人や、辛く当たってしまった人たちも、決して僕のことを責めたりはしないだろう。寿司屋に入って最初にチョコレートムースを注文するようなアグレッシブさを、いつの日か僕も身につけられるよう生き続けなければ・・・」と、強く心に誓うことにしたのでしたwww

そうしたわけで、娘さんはアグレッシブでした。