地獄の番犬はいつでも自分を飾り立てている。

特捜戦隊デカレンジャーたちのボスである、ドギー・クルーガーはかっこいい^^




なぜなら、彼は見栄を切るからです。
彼は犯罪者を前にしたときに、自分を飾り立てて、見栄を切って、相手を逮捕します。
彼の姿を見ていると、自分を飾り立てることは大切なんだなぁて思えます。

しかし、それはナラティヴな意味においてです。

この意味において飾り立てられているかがポイントです。

たとえば、何かを打ち消そうとしている人は、なかなかナラティヴな意味で自分を飾り立てることができないようです。(フルメイクの某P氏しかり)
類型化して判断するのは危険だけど、そうした人は、何か、直面化すべき問題から目をそむけるために自分を飾り立てている気がします。
ようは、虚勢を張っているという感じです。
・・・お酒を飲んで気が大きくなってる人って感じ。。。


ナラティヴな意味での飾り立ては、そうした虚勢とは違います。


・・・「花の慶次」の前田慶次郎利益を引き合いに出せばわかりやすいかもしれません・・・実在の人物のことはまったく知りませんが、あの漫画の中で傾いている、慶次です。

彼は、常識はずれの行動をとります。
その行動は、傾奇者と呼ばれるようです。
彼の周りにも傾奇者のは大勢いるようですが、たいていの人は、虚勢を張って威張っています。

でも、慶次はちょっと違う。

彼は、自分の行動が自分の物語の中で成立するように傾こうとしています。

彼が生きていた時代は、人がすぐに死ぬ時代です。

明日死ぬかもしれないから、どうしても死ぬことを先駆することが必要だったのでしょう。
いつ死んでも、その生が物語として成立しないと、なんとなくつまらない。
そうした死の先駆が、彼にとっては傾くことなんだろうなぁ。
物語の中にはいろんな人物が出てきて、ナラティヴな飾り立ては人によって違います。
慶次のように力の強い人はああしたやり方で力強い飾りたてをしますが、もっとおとなしかったり、いわゆる“静の人”たちは、ちょっと違った飾りたてをします。
そうした人たちは、犠牲的だったり、詩を読んだり、芸術的な自己表現だったり、もっと身近な生活レベルで商売をしたりとか、それぞれのやり方で飾り立てをしています。


力点は、ナラティヴな意味での飾り立てです。


現在にどんな出来事が訪れるかは、誰にもわかりません。
よくない出来事が起こる可能性もある。
意味の力はすごいから、訪れる出来事に対してうまく引導を渡してあげないと、その出来事はいつまでも過去の中でうぞうぞしていることになってしまいます。
そうなるとたちが悪くって、ベルセルクのガッツみたいに、バカでかい剣をふりまわしてないとやってられなくなってしまいます。

現在に起こる出来事が成功しても失敗しても、うまく過去の意味の中に沈殿させることができるように見栄をきる。
ナラティヴな飾り立ては、“覚悟の様式”と表現できるかもしれません。


で。


僕らのドギー^^

僕らのデカマスター^^


たぶん、ドギー・クルーガーはいつ殉職しても大丈夫です。
いつ失敗して、いつ挫折して、いつこの世から脱出しても成立できるように、かれは見栄をきります。

そんなふうに、彼は自分を飾り立てている。


そんなわけで。

今日のBGMは、RIKIの「魁!ミッドナイト」です^^