赤色のワイバーン。

class-夢。

光景-広場。

僕は、パビリオンの跡地のような大きな運動場にいます。
その運動場は、過去に行われた大きなイベントのために作られたもののようで、そのイベントが終わった後も、公共的な広場として使われているようです。

とても大きな円形の運動場で、60年代的な未来の意匠が使われています。

60年代的な未来の意匠・・・それは、丸みや流線型を多用した、明るい清潔な未来のイメージです。
映画「2001」的な合理性が支配的な未来のイメージです。

その運動場は、もう作られて何十年も経つようで、いたるところが崩れてぼろぼろになっています。

そして、僕は何故か、そのイベントのテーマが“次の10年の為に”というものであることを知ることができます。

そのテーマを知って、僕は考えます。

「この運動場に込められた“次の10年の為に”というテーマは、果たして達成されたのだろうか?少なくとも、この意匠が示すような未来は訪れなかった。丸みや流線型は過去の未来として、一部の玩具と一部の娯楽の中でしかみられなくなってしまった。この運動場は過去のものだ。ならば、次の10年を思い描くためのパビリオンをどこかに作らなければ。そうしたパビリオンを作る場所は、はたしてどこかにあるのだろうか?右のほうには既に別のパビリオンが立てられてしまっている。真ん中は市街地なのでダメだ。残るは左側の場所だ。あそこには遊園地があるし、それを利用して、次の10年のためのパビリオンをつくれないだろうか?」





光景-遊園地。

僕はその遊園地に行きます。
何故か俯瞰図で、僕は飛行しながらみています。
もう夜であり、青色の暗闇の中に巨大なジェットコースターのレールが見えます。
そのレールには赤色のネオンがついており、暗闇に映えてキレイです。

しかしそのジェットコースターは巨大であり危険です。

とんでもないコースになっており、上に行ったり下に行ったり、林のようなところを通ったり水面すれすれを通ったりと、無茶な作りになっています。

心配しながら見ていると、乗り物から幼児が投げ出されます。

幼児はコース上に投げ出されてしまい、その母親であろう人物が幼児を助けようとコースに入ってしまいます。
その状況に気づいた作業員が、幼児と母親を助けようと、さらにコースに入ってしまいます。

しかし、ジェットコースターは止まらず、みんなジェットコースターに轢かれて死んでしまいます。







光景-何十万年も未来。

気がつくと、何十万年も未来の地球です。

人類の建設物は既に遺跡になっており、そもそも人類が生き残っているかどうかも不明です。

僕は僕なのかどうかもわからず、雲海を見下ろす遥か上空の視点で光景を眺めています。

雲の上なので、空は快晴です。

雲海の中に、生き物がいます。




赤色のワイバーンです。




ワイバーンはとても巨大で全体像を見ることが出来ず、雲の中に姿が微かに見えるくらいです。

ワイバーンは、地球をどうするのか考えているみたいです。

人類を復活させるべきかもしれないし、復活させないほうがいいのかもしれない。

ワイバーンは、ただただ雲の中を飛行しています。



僕も空を飛行しています。

誰もいなくなって、自然が豊かになっている地球を飛行しています。

気分が悪くなるほど壮大な自然の中を飛行しています。

山が見えます。

渓谷が見えます。

そうした山や渓谷が雲に覆われて、空は快晴です。

光景が多重スクロールしています。

遥か奥の山々と手前にある渓谷との通り過ぎていくスピードがぜんぜん違うので、ものすごく壮大な場所を飛行している感覚を味わえます。

なぜか僕は、アン=シャーリーのような少女がどこかに暮らしていると思います。

枯れ果てている草原のようなところを飛行します。

アンがいたかどうかは不明。




(面白いのは、ドラゴンではなくてワイバーンであるというところ。ドラゴンは知恵と破壊の両方をもっている神話上の生き物だけど、ワイバーンは紋章学から人為的に作られた、神話を持たない空想上の生き物。ワイバーンは強い敵意を示すために紋章に使われていたようです。)