意味の残骸。

現在は次々と過ぎていきます。

過ぎた現在は、過去になります。

過去は現在がもっているような質感がだんだんと失われていくので、意味の繋がりの枠組みだけになってしまいます。

そうした既に過ぎ去ってしまった意味の繋がりの中に埋まってしまい、空虚な意味の枠組みでしかないような記憶の残骸が、不意に現在に姿を現すことがあります。

空虚な意味の枠組みが、急に中身を満たされて、まるで現在に起こっている出来事のように感じることがあります。

さっき車で帰宅していたときに現在化したのは、高校3年生の頃の意味の枠です。

入試に向けた面談の練習をしていた頃の思い出です。

練習なのでどうでもいいやと思って、先生の「尊敬する人物は誰ですか?」という質問に対して、「808STATEとジ・オーブです。」と真顔で返答して、キョトンとした顔にさせたという思い出です。(どちらもテクノ界の大御所w)
案の定、面談結果の点数も悪く、後でとても間接的に文句を言われて、嫌な感じと恥ずかしい思いをしました。

もう、とっくに過去の中に埋まってしまっているだろうと思っていたんですが、さっき、現在に現れました。
そして、あの時と同じような嫌な感じと恥ずかしい思いに苛まれました。

なんで枠組みの中身が満たされちゃったんだろう?

確かに、その時聞いていたのは808STATEの「Marathon」って曲だったんですが、それに触発されて出てきちゃったのでしょうか?

で。

もうはっきりと現在化しちゃったんで、僕も勝手に車の中で焦りまくりですwww

なんか、一人でその面談での先生とのやり取りをシュミレートしちゃったりして、「いや・・・あの・・・すいません・・・」みたいな感じで、おかしな回答をしたことに対する言い訳をしちゃったりして・・・(-_-)


そこでハっと我にかえり、“あぁ。これは現在のことじゃないんだ。もう14年も前の出来事なんだ。今、車のなかで右往左往したところでどうなるものではない。それにしても、不意に現在に現れるということは、僕はこの記憶の残骸を上手に葬ってあげることが出来ていなかったということかもしれない。もちろん、こうした現在化に対してその善し悪しを決めることは誰にも出来ないだろう。現在に出て来るべきして出て来るのであって、それは必要なことなのかもしれない。だがしかし、もし、僕が過去のプールを上手にドライブしようとするのならば、僕はこの記憶の残骸に“おつかれさま”を言って、丁寧に葬ってあげるべきだろう。まぁ・・・葬らな
くてもいいのかもしれないが。。。”と思い、とりあえず、「Marathon」を何回かリピートして聞きました。



嫌な経験を過去に葬るのは至難の技なのかもしれません。



“もう知らない”って思っていても、死んでないと出てきちゃうしw

多分、“もう知らない”っつって、鉄の手で心の奥底に押し込んだとしても、その意味の繋がりは意外なところで顔を出すことになるでしょう。
それは家族の繋がりかもしれないし、友人の繋がりかもしれないし、社会の繋がりかもしれない。

でも・・・まぁ・・・なんていうのか、過去のプールに意味を与えてあげれるのは現在の自分なんだろうなぁ。


・・・「Marathon」を肯定して引導を渡せるような現在って、どんな現在なんだろうか?


・・・テクノやれってこと?・・・違うかw